反攻!三宅の磯
 娯楽のない三宅島では、日曜日だからといって休んでもやることがない。故に「やることがないから、仕事でもするか。」となり、そうなれば、まさか一人だけ遊んで、釣りに行くワケにも行かない。「絶対釣ってくるなら、いつ休んでもいいよ。」とか言われる始末なのだ。
 そういうことだから仕事が休みになるのは、雨が降ったときだけである。翌日に天気が回復しても大抵は仕事にならないのだが、一応は現場に出て、できる作業をする。だがそれは、たかが知れている作業なので午後から休みとなる。「せっかく休みなんだから釣りに行ってくれば?」と言われるが何の用意もしておらず、ましてそんなときに行っても、時合いが悪くて釣れない上に、釣りに集中できない。そんな状態で釣っても楽しくないし、そんなコトを知らない連中である。「K川はカッコウばかりのヘタクソだから釣れないんだ。」とか言われたらたまったもんじゃない。確かに上手くはないが・・・。
 他の人たちと違って、私にはやれる娯楽がある。囚人じゃあるまいし、それどころか囚人だって休日がある。それを仕事ばかりしていたのでは気が滅入ってくる。これは釣りに行きたかったら、タイミングを見計らい、「我、関せず」とばかりにさっさと用意を整え行ってきますわと、出て行くしかないようである。私はこの作戦を実行することにした。
 2月19日の夕方、この日は雨だったので仕事は休み。私は宿舎からトラックに乗り込み、現場から徒歩5分のところにある、営業を再開したばかりの釣具屋“二幸”でオキアミの3kgブロックを2つ買って帰り、解凍にかかった。同室のN橋さんは釣行していいとも悪いとも言わないが、どうやら黙認してくれるようだ。いつものように背負子にクーラーとバッカンを縛り付け、続いて道具箱の用意にかかる。何を用意するといえば、針に糸を結ぶのである。前回はフロロカーボン1.7号の糸で道糸が切れた。そこで私は対応策に迫られるハメになった。
 どこに行っても糸が半額で販売されているので、私はこの地に来て、リールに巻かれたミチイトを巻きなおすことにした。
 この釣具屋・二幸を始めとして、他にある釣り道具を扱っている店全て、商品が4年半前に仕入れたものである。他の物ならともかく、ナイロンを始めとする釣り糸は経年劣化と火山ガスの影響を受けている可能性があり、強度的な不安がある。そこで売る側としては、値段を下げてでも処分して、商売上の損害を小さくしたい意図がある。買う側も劣化など承知で買うのである。
 リール用のミチイトとして今巻いてあるナイロン3.5号から同じくナイロンだが4号に。内地から持ってきたハリスの一番太いのでナイロン2号とフロロカーボン1.7号である。これも買いなおす。ナイロン2.5号を所望したが、あいにくと在庫がないらしい。それならばと、フロロカーボンの2.5号にする。いくら劣化しているとしても、同じ番手のナイロン糸よりは強度があるだろう。定価ベースが基本なのに、こと糸に関しては内地よりはるかに安い。4,500〜600円のものが2,000円でお釣りがきた。さらにこのお店、3kgブロックのオキアミが750円と、これまた内地の量販店で買うよりも安い。まさか、これも4年半前のものなのか・・・?
 グレ(メジナ)針の8・9号、チヌ(クロダイ)針2・3号に買ったばかりのフロロカーボンハリスの2.5号をとりあえず各3本に結びつけ、グレ針6・7号にはフロロ1.7号をやはり各3本に結んだ。これで明日への備えは万端である。

 翌朝、いつものとおりに朝6時に起床。身支度を整えて、食堂へ。天気はものすごく良いが、風が強い。いつもと変わらぬ冷たい朝食を摂る。いつもならば部屋着代わりにしているのはTシャツ・ジーンズに薄いフリースのジャケットを羽織っているだけだが、朝食を食べ終わったら即、釣り場に向かうつもりだったので、作業着の上下着用である。これならいくら汚れても問題はないし、高濃度地域に指定されているところや作業範囲内で立ち入り禁止指定されている個所以外、どこで釣っていても咎められることがないのだ。
 それを知ってか知らずか、M本さんが早々から作業服姿で朝食を食べている私を見てニヤリと笑い、言った。
「なぁに、K川さん。いやに気合入っているじゃない?。」
「入ってますよぉ。今日は現場に出ないで、釣りに行ってきますから。」
「え、釣りに行くの?じゃあ、ワンカップ買って帰ってこなきゃ。今夜は刺身でイッパイかぁ。」
 この人(M本さん)も釣りをやるわりに、余計なプレッシャーを掛けてくれる。まあ、よい。いち早く食べ終わった私は、部屋に戻って道具をトラックに載せ、阿古の港が一望できる位置にトラックを走らせた。最悪だった。
 阿古の桟橋はダッパンダッパンと波を被り、当然の如く閉鎖されている。宿舎ウラの磯なぞシャレにならないほどの大波が打ち付け、波しぶきはそのまま、東映映画のクレジットタイトル(映画の本編が上映される直前に出てくる映像。)が撮影できるほどである。これで伊豆から阿古高濃度地区に至る、島の西海岸全域は釣りが出来ないことが決定した。ならば坪田地域から神着までの東側である。ここなら・・・ダメだった。
 確かに波はそんなにない。だが足場が高く、魚がかかったとしても取り込むことができない。出来たとしても前回と同じく木っ端メジナくらいしか抜くことができない。坪田漁港と言う小さな港があるが、港湾工事中のために途中から通行止めである。私は思い切って、神着に行くことにした。
 坪田高濃度地区に入ると三宅空港越しに、島の東側に面する海が見える。波頭が風で砕け、白い波を立てているのが見える。その先にある三池港の桟橋も防波堤を越えるほどの波が掛かっている。あれ?今日は西風じゃないのか??
 全く、どうして私はこう、ツイていないのか?この日の風は西北西から北北東にコロコロと向きが変わりながら吹いていたため、どこに行っても高波を被る状態になっていたのである。こうなると釣りどころか、貨物船もフェリーも着岸できず、物流や人の流れが止まってしまう。私はそれでも、どこかに波の静かな、てか少しはマシな堤防なり磯なりがあるハズと、トラックで島の海岸線を徹底的に見て廻ることにした。
 高濃度地区は立ち入り禁止なので、釣りをするわけにはいかない。ついでに神着に入ると磯場が高くなるので不可。ついでに高波である。その先にある大久保漁港に下りてみると、足場が低くて北風をモロに受ける分、波が防波堤なんぞ軽々と乗り越えてくる。ここで釣りをしようというのはキ○○イか自殺志望者であろう。その後、伊豆・伊ヶ谷も見てみたが、こっちはハナから不可能と判っている。榎沢を経て阿古に戻ってきてしまった。私は阿古高濃度地区と坪田地区の境界線ギリギリを攻めてみることにした。一周道路から海岸線に降りられそうな、まるでケモノ道みたいな生活道路を徹底的に下りてみたがムダだった。海岸線に出られることは出られるのだが、どこも20m近い高さでヘタをすると足場まで上がってくる波しぶきがある。仕方なしに、どこかの漁港の防波堤の影に隠れて釣ろうと、先ほどは行かなかった湯が浜漁港に行ってみた。今いるところから島をちょうど半周した辺りである。ついでだから今後の参考に、さっき通ったときに覗かなかった防波堤に守られた場所に行ってみた。
 降りてみると朽ちた番屋(漁師さんの待機小屋兼物置。)が数軒とそれらを転用したスキューバダイビングショップの物置小屋があった。防波堤越しに海岸線を見ると、火山砂利(噴火した際に出る、溶岩の飛沫や目の粗い火山灰。)でできた砂利浜である。ここも防波堤を越えて波を被っている。
 番屋の周りには、やはり火山ガスでボロボロになった漁具・工具などが片付けられて集積され、処分のために運ばれていくのを待っている状態である。私は何の気なしにそのガラクタの山を見ていた。するとその山のなかに、沖釣りで見慣れたPE糸(ポリエチレン製。伸縮性が低く、非常に丈夫。同じ番手のナイロン糸の2倍の引っ張り強度を持つ。値段がナイロンに比べて5倍くらい高価なのがネック。)を巻いてある、何やらゴツイものを見つけた。リールである。しかもキンメダイなどを釣るための深場釣り用電動リールである。
 電源コードが見当たらず、本体もガスの影響でメッキ部分は緑青(金属銅の酸化物。お寺の屋根や屋外にある仏像・仏具などが薄緑色になっているのと同じ状態。)を噴いているものの、基本的に電動リールは完全防水である。つまり、中身は影響を受けている可能性は低い。見てくれで判断されてゴミとして処分されようとしているのだ。
 これを拾わない手はない。何しろこのリール、1機10万円以上するリールなのである。糸を巻く量も番手にもよるが500m以上であるから、糸代だけで3万円近くになる。私はそのリールを手に取り、トラックの荷台に乗せて、足早に立ち去ったのだった。
 そこから岬を一つ越えると目指す湯が浜漁港である。ここは沖に向かって伸びた桟橋が海岸を東西に分けているので、波を被ってはいるものの、陸地に近いところならば波の影響をさほど受けない。しかし、この部分は先客がいたので、狭くて割り込めない。防波堤に囲まれた漁港内は海水に洗われているが、これは満潮の時間が重なっているようで潮位が上がり、波は防げるがうねりの影響があるために時折、足元に海水が流れる程度である。そして防波堤を越えてくるような波が来ない。私はここで釣ることにした。
 いつものように、S司氏に嫌われる『混ぜ物の多い、やたらと魚が寄ってくるコマセ』を作る。潮位が高い状態なので、水汲みがラクである。それに比較的早い時間に冷凍オキアミブロックを購入して解凍に入った為、ブロックのほぐれも良い。海が荒れていることもあり、私はいつもより多めに集魚材を混ぜてコマセを作った。
 ほぼ危険はないと思えるところだが、たまに波を被ったり海水が足元を洗ったりするので、ロッドケースや細かい道具箱などを持っていかれる可能性があるので、必要最小限の道具を持って、歩いていかれる漁港口先端の部分に陣取り、竿を出した。
 30mほど沖に漁港口を塞ぐようにもう小さな防波堤があり、そこには大波が当たってものスゴイ波しぶきが上がっている。風が廻っているせいか、飛沫を被ることはないが船の航行進路の関係で、角度によっては、私の立っている防波堤から沖まで遮蔽物なしの状態になっている事に気づいた。
 それでもその角度で波が来ない限りは何の問題もない。風が沖からこちらに向かって吹き付けているので漁港口から沖に向かっては投げられないが、沖目に向かって投げていれば、対岸の堤防との正面中間に投入できるのでラクである。が、風の影響を受けやすいので、それを伍しての投入をしようとすると、付けエサが落ちることもある。さらにコマセが狙ったところに飛んでくれない、絶妙な角度で入ってくる波をいつも気にしていないと、やはり危険である。など、なかなか思い通りの釣りが出来ない。釣り始めてから30分ほど経ったときだった。
 私はふと、ウキの動きに見入った。波の動きとは明らかに違う動きである。波を被っているわけではないのに、ウキがピョコン、ピョコンと沈むのである。そしてフッと消しこんだ。アタリである。合わせようとタメたその時、叫んだ。
「ふおぉぉぉぉぉっぉおおぉおぉおぉぉ!!!!」
 総重量からしたら10kg近いバッカンが漁港内に向かって流されようとしていた。足で思いっきり踏みつけて落下を免れた。海水が私の足のくるぶし上を洗ったのだ。堤防のスキを撞いた波が、私の立つ堤防の上を洗ったのである。
 私は背筋が寒くなった。何の引っ掛かりもない平らな堤防の上である。洗った海水面というか波の高さがあと15cm高かったら私は間違いなく落水していただろう。もちろんそれに備えてフローティングベストを着用しているのだが、波・うねりが高くて潮が下がり始めているので落水すれば沖に引きずられ、結果は死である。それ以前に私はカナヅチである。すんでのところで助かったのであるが、当然バラした。この状況で冷静に合わせられるヤツがいたら完全に狂っているか、変態である。
 あわわわわ・・・私は仕掛けを上げ、完全に防波堤の陰になる、堤防の一段下がった場所に移動した。今起きたことにドキドキとしながら、タバコに火を着ける。笑いたければ笑え。万が一にも、一は一なのである。大丈夫だろう、なんてスケベ根性を出すヤツに限って、波に浚われるのである。一瞬の判断ミスは釣りのみならず、アウトドアでは自分を含めた、参加者の生命に関わるのだ。ここは引き際である。
 一服二服する間に落ち着きを取り戻していき、咥えタバコのままエサを付けていると、ドッパーン!!という轟音と共に私の視界の右側に白い壁が出来たのが見えた。ハッと振り向くと、そこには10mを越える波飛沫が白い壁となっていた。私がつい数分まで立っていた場所である。釣りに来て初めて感じる恐怖。いや、恐怖なんてモノではない。怪談で『海に落ちる瞬間、海面から無数の手が伸びていた。』という話があるが、あれである。風に砕けた波頭が全て人の手に見えるくらいである。私はここに至り、この場所での釣りを断念したのだった。
 
 道具をしまいトラックに戻り、島を反時計回りに走り始めた。風向きは相変わらず、波の高さも相変わらずである。宿舎への曲がり角を曲がらず、私は阿古高濃度地区と坪田地区の境界線ギリギリの新鼻岬を狙って見た。が、ムダだった。
 足場となる岩場から海面までの高さが20m近くある上に、ヘタをするとそこまで飛沫が上がってくるのだ。それからも一周道路から海岸線に降りられそうな、まるでケモノ道みたいな生活道路に入り込んで海岸線を見てみても、どこも足場が高い。低い場所があったとしても波が大波と波飛沫。これで雪が降っていてウミネコが飛んでいたらそのまんま、石川さゆり津軽海峡冬景色』か新沼謙治津軽恋女』、マニアックに攻めるとすれば、星みさと『しをり』のカラオケ映像が撮影できるような状態である。私は海の向こうに見える、お椀を被せたような御蔵島の島影を眺めながら、風向き・波の流れ・島の地理を考え釣り場となりそうな場所を考えた。
 風は西風であるが、現在私がいる島の南端には何故だか西南西から波が来ている。つまり、現在の位置より島の東北東の場所に行けば、風・波から受ける影響が最小の場所がある。それは・・・三宅空港だ。
 三宅空港がある地域は坪田高濃度地区。が、それは三宅空港の北側約半分の地域であり、南側は規制を受けない。そして三宅空港のある地域は元々の地盤が低いので、空港滑走路よりも更に低い位置にある海岸線は当然、足場が低い。ここだ!!そうと決まれば話が早い。なんでこんな簡単且つ単純なコトに気づかなかったんだんべ?と思いながら、トラックのアクセルを踏んだのだった。
 空港南側に管理用道路を兼ねた海岸線に通ずる道を海岸側に向かう。100mほどの緩やかな坂を下るといきなり目の前はオーシャンビューである。海面を見ると波はあるものの、風が磯に沿って吹き付けているため場所を選べば波を被ることはない。私は場所を探すため、車から降りて確かめてみることにした。
 全く波を被らない場所は一ヶ所だけ。小さな入り江になっているこの場所、西にせり出した岩が防波堤の代わりを果たし、東側の岩場は西側よりも引っ込んでいる状態になっているため波の影響を受けずに釣れる。しかしここは、すでに他の釣り人が入っていて、あとは時折、足場近辺まで波頭が上がってくるようだ。先ほどの分も挽回せねばならない。溶岩で形成された鋭く険しい岩場を歩き、私は西側に高い岩場がある場所を見つけ、玉網をそこに陣取った。
 さっきは道具を簡単に片付けただけであるから、再開するのもこれまた簡単である。コマセもイイ感じで解凍されている。気を取り直しての再開第一投目。風が雄山に当たって向きが変わり、後ろから吹いているため、そして軽い仕掛けであることも手伝って、コマセを撒いた辺りよりも遠くに飛ばされてしまう。これでは意味がないので手繰り寄せて、さっきコマセを投入した辺りに針を移動させてコマセを追加投入(このシーンをS司氏が見たら、首をシメられるかも知れない。)する。
 波が高い分、ウキの動揺も激しい。午前中のしかも東南の方角を向いての釣りなので、太陽とモロに正対するため、まぶしい。島に来る寸前、サングラスを新調して正解だったが、それでも見難いことは変わらない。そして潮流が早い。ウキがみるみる流されていく。アタリだと思うと、ウキに引きずられてピンと張ったミチイトがブレーキとなり、ウキを沈めてしまうのである。こうなったら仕掛けを流せるだけ流して引き上げ、再投入である。
 エサを付け直して2投、3投とするうちに、私はうねりに翻弄されたエサがなかなか沈まずに、海面のすぐ下を漂っていることに気が付いた。針がオモリの変わりになっているとは言え、エサのオキアミ(付けエサもコマセも同じオキアミを使っている。)が沈まないと言うことは、魚がいる水深までエサが届いていないと言うことである。これでは釣れるワケがない。私は針の15cmくらい上に仁丹くらいのガン玉を打つ(付ける)ことにした。果たして効果があった。
 アタリである。今回はミチイトに引っ張られているのではない。タメて合わせる。竿の穂先が風を切り、鋭い音を立てるがバラした。私は天を仰いだ。しかしガン玉を打ったのは正解だったようだ。気を取り直して再チャレンジ。一度バラしてしまったのだから、しばらくはアタリがなくても仕方がない。
 それから何度か投入すると、やはり明確なアタリ。前回と同じく、ウキが消しこむなんてモンじゃない。ウキが目の前からフッっと消えるのである。まったく三宅島の魚はパワフルである。しかし今度はミチイトもハリスも太い、そして丈夫である。思い切って合わせると、いきなりバチン!!とハリスが切れた。ホントに一体、ナニが食ったのだろう?そしてナニが食っているのだろう??手持ちで細いとはいえ、フロロカーボンの1.7号ハリスなのだ。それをいきなり破断させる魚って何者なんだか・・・。
 これでこの日の釣り運を使い果たしたのか、アタリと思って合わせると根掛かり(海底にある障害物に引っ掛けてしまうこと。)だったり、おそらくフグ(ヤツらの仲間はペンチのような刃を持ち、興味を示したものに何でも噛みつく)の仕業と思われる魚にハリスを噛み千切られたり、オマツリ(仕掛けを絡ませること。)して修復不能になったりと、徒に針を消耗する事態に陥った。
 ムリヤリ休んで、なし崩し的に釣行したのである。手ぶらで帰ればみんなに何を言われるか・・・嘲笑と考え付く限りの罵詈雑言を浴びせられるのは明白である。せめて一匹だけでもと、悪戦苦闘を続けていた。
 もう何度目の投入なのか。もう針を何本、使ったか。私はそう考えながらウキの動きを見ていたが、視界の右前方に違和感を感じ、その方向に目をやると、波頭は砕けていないが、大きなうねりから出来る波がこちらに向かって来ているのである。
 私の陣取った足場は海面から4m程の高さで、大昔に流れ出た溶岩と波や風の浸食によって出来たによってできた、厚さ30cmくらいの壁状の岩が私の膝上の高さまでせり出した窪地みたいな場所である。足元の崖は海面付近が少しだけ抉れているものの、ほぼ垂直状態で立ち上がっている。これなら極めて波に攫われ難い場所であるし、風と波が真正面から来ない限り、波を被ることもない。
そんなことから私は、その波を見ても特に気にせず、ウキを見つめ直して、絶叫した。
「ふぉぉぉっぉぉぉぉぉぉおおぉっぉおぉおおぉ!!」
 チラリと見た波は予想以上の大波で、足元を洗うどころか岩にぶつかって轟音と共にほぼ垂直に切り立つ足元の崖を駆け上り、背丈より高い白い水壁を作ったのである。しかも取り込まれた泡の一つ一つが見えるくらい、私の鼻先50cmくらいの位置で、である。
 その衝撃たるや子供の頃の夏、母親が冷蔵庫で冷やしておいたソーメンのツユを、麦茶と間違えて一気飲みしたときか、女のコと初めてデートしたときに、タバスコとケチャップとをカン違いして思いっきり掛け回して食べたとき以上のオドロキである。膝上までせり上がった岩壁のおかげで、私の体に波がかかることはなかったが、岩壁の切れ目からホンの少しの加減により流れ込んだ波が足元を洗い、置いていたバッカンの中に大量の海水が入ってしまった。
 通常、コマセの硬さはボソボソのヌカミソくらいの硬さ(というか、柔らかさ。)なのだが、流れ込んだ海水のおかげでコマセが薄まり、缶入りコーンポタージュくらいのユルさになってしまった。ヒシャクで掬って投げてみたが、そこまでユルくなるとオキアミがヒシャクを避けてしまうらしく、集魚材ばかりが投入される状態になってしまった。驚愕の出来事からくる恐怖心から、針にエサを付ける手が震えて、オキアミをうまく付けられない。笑いたければ笑え。ホントのホントーに怖かったのである。
 それでも震える手を押さえつけてエサを付け、遠くに飛ばず、もはやポンプで散布してやりたくなるほどユルくなったコマセを仕方なしに足元に撒いて、仕掛けを投入した。視点を足元に向けたおかげで更なる恐怖を味わうとも知らずに・・・。
「ふをををおおをおおををおをおををおををおをおををおををお!!!!」
 私の後方から強風が吹いていたのだが、それが突風となって私の体を後ろから押した。そのため、私の上体は前のめりのカッコウとなったところへ、さっきよりデカイ波の壁が目の前、というよりも被っていた帽子のツバを掠め、帽子を跳ね上げた。それと同時に、やはり岩壁の切れ目からさっきよりも大量の海水が、履いている長靴の耐水高ギリギリのところを流れ、足元から上に移動させておいたバッカンをあっけなく倒した。当然コマセは全量こぼれてしまい、ゴミと共にキレイサッパリ洗い流してしまったのだった。
 全身ズブ濡れでエサも流れた。生命の危険すら感じる。もはや釣りどころではない。私は竿もたたまず、ほうほうの体で岩場から一目散に離れた。
 宿舎に戻った私は案の定、同僚からクソミソに言われた。N橋さん・Y崎さん・M本さんの3人とも学生時代は卓球部・柔道部と体育会系である。殴られたりしないものの、ありとあらゆる嘲笑と罵詈雑言を一身に浴びたのである。往年の説教である。そして夕方、やはり仕事が休みで釣りに行った連中が50cm超のメジナを3枚上げて帰ってきやがったのである。しかも私と同じ三宅空港裏で。そして私がどういう扱いになったのか、もう書きたくない・・・。