仕事なし。娯楽を作れ。
 島内では娯楽を求めても、それを満たすような場所は存在しない。娯楽と言えば釣りをするか、宿舎で酒を飲むか、テレビを見るかしかない。釣りといっても私のように道具をバッチリ揃えてきていたり、貸し道具がなければ出来ない。宿舎で酒を飲むにしても毎日同じ顔を突き合わせて、ツマミは乾き物か漬物くらいである。我々の場合は“何にもないだろうから酒代くらいは出してやる”と社長が金を出してくれたので、他の作業員から見ればまだマシであるが、基本的には寝ているときと便所に入っているとき以外、ずっと同じ顔を見ているのだから無言で酒を飲むようになる。こうなるとお互い飲まなくなるか、飲んでも反ってストレスが溜まるようになる。
 ここに来てから2週間くらい経った頃、スナックが営業を再開したと言うことで、元請会社の若い監督さんたちがその店に行ってみたところ、出てきた店のママ兼ホステスが80歳くらいのバァさんで、盛り上がりにかけるどころか、盛り下がるのを抑えるのに必死だったという。
 テレビを見るにしても、ここは一応、東京都だし東京都の管理する施設であるから『東京MXテレビ』が見られるのは見っけモンだったが、特に魅力的な番組を放送しているわけではない。
 それに私と同室のN橋さんは昭和13年生まれで今年67歳。気は若いがやはり37歳の私と嗜好が違う。共通するのはバラエティ番組くらい。それもどちらかというとN橋さんが妥協して見ているふうだし、チャンネル争いをするのもつまらないので、時代劇やスポーツ中継がある場合は基本的にN橋さん優先でテレビを視聴していたから、娯楽と言うにはちょっと離れている。結局、雨ならともかくとして日曜日に休んでもやることがないから、仕事でもしようと言うことになり、気分転換というものが全く出来ないのである。“ヒマがあるなら釣りに行けばいいじゃん。”と思うかもしれないが、オキアミのブロックを解凍しなければエサがない。それに雨が降って結局は朝から作業ができずに休みとなる状況であっても、必ず現場に出るので、朝まずめ(日の出前後の魚の釣れる時間帯を指す。日没前後も釣れる時間帯なのでこれを“夕まずめ”という。)を外してしまう。一番の問題は、そんな状態で釣行しても集中できないのである。
 フシギなことに、準備万端で休みだから釣りに行こうという状態と、それなりの準備はしてあるが『休みかぁ・・・釣りにでも行くかなぁ。』という状態では全く違う。前者は希望、後者は妥協である。それにここにいる限り、雨が降らなければ休みにはならない。内地にいれば工程にもよるが、雨降りの翌日はまず休みである。しかしここでは違う。
 現場に行って本作業が出来なくても「よし、じゃあ○○の作業をやちゃおう。」となって、昼食前で終わり、以後休暇となるので、とてもじゃないが釣りに行く気なんか起きない。そうなるとちょっとした買い物に行ったあと、部屋にこもって洗濯でもしながらテレビを見つつうたた寝、とかになる。持参した文庫本10冊は宿舎に入って4日で読みきってしまった。本屋でもあればちょっとは違ってくるのだろうが純然たる本屋は営業していないし、本屋を兼ねる文房具屋でも週刊誌を中心に40種類くらいしか売っていない。“赤テント”にあるエロ本の方が種類豊富なくらいである。まあ、読書ができなくとも私の場合はこれを書いているので、まだマシなのだが。こうなってくると仕事以外の行動を何とか娯楽、というか気分転換に使おうと言う気になってくる。
 2月の終わりに宿舎の近くにパチンコ屋『パーラーみやけ』がオープンした。私はギャンブルの類を嗜まないので足を踏み入れることはなかったが、パチンコ好きな防災関係者はこぞって行った。
 他の会社の、顔見知りの作業員が入っていったのを見かけたので、その人が帰ってきてから様子を聞いてみると、開口一番、
「出やしねえよ。もう行かねぇ!」だそうだ。普段はどこで会っても、向こうから挨拶をしてくる温厚な人である。一体、いくらヤラレたのかだろうか。
 そんなコトなので私がまずやったのはドライブ。とはいえ、一周道路のほかは雄山の麓にある林道と海岸沿いの集落に繋がる生活道路だけで、これら林道は土石流で寸断されていたり、その復旧作業で通行止めである。一周道路は基本的に直線がない。マシンは三菱キャンターというトラックだが車の通行量が少ないことを幸いに、アップダウンの激しい曲がりくねった道をスポーツ走行をした。
 内地にいれば古くは牛乳屋勤めで厚木−伊豆下田を一日に2往復したり、他の連中は1日30kmも走らないというのに私だけ120kmも走るコースを受け持ったり、こっちの業界に来てからはダンプで、ピザ屋の配達でもあるまいに、社長からワケのわからない場所と道程説明の電話一本でトラックの最大積載量の許す限りの重機を回送し、現場からの電話一本で今来た渋滞している道を引き返して、追加の道具や資機材を迅速に運んでいるのである。
 アメリカ空軍や航空自衛隊ではF-15イーグル戦闘機のパイロットを『イーグルドライバー』と呼び、ミハイル・シューマッハアラン・プロストなどF1レーサーのことを『F1パイロット』と呼ぶそうである。ならばトラック使いの私が『カミオンパイロット』と名乗っても過言ではないだろう。
 『カミオンパイロット』の私にとって、これは実にスカッ!!っとした。元々私はドライブが趣味である。景勝地を見るとかガイドブックを片手に、とかではない。ただ走っているのが好きなのである。内地にいて、燃料費と高速代に代表される金と何の予定もない日が2〜3日あれば、愛車・サファリを駆って気ままな小旅行に出るくらいだ。
 いくらがんばっても一周が車のメーター読みで約30kmしかない島だが、ぐるり一周、反転してもう一周すると結構走った気分になれる。変わり映えしない景色だし仕事で使っているトラックであるから事故を起こさない程度に走るのだが、ホンのささいな事だがモノすごい気分転換になった。走っているうちに道路脇に生えている草、多くは名前のわからない雑草なのだが、荒涼とした地域でも青々と茂っている草があることに気が付く。明日葉である。
 この明日葉というのは食用に適した野草で、“今日切っても明日また生える”といわれるくらいに生命力が強く、椿と並んで伊豆諸島の名産品である。ほろ苦くて香りが強く、ビタミン類やカロチンが非常に豊富。お浸しや天ぷら、味噌汁の具などにすると結構ウマイ。島内の家庭では自宅の庭先に自生していたり根を移植して栽培し、必要に応じて摘み取って使うのである。今の三宅では、石を投げると明日葉か土方に当たるくらいに島内のどこにでも生えている。野生のものだけでなく、ちゃんと畑で栽培されたものが内地に向かって出荷もされているが、三宅島では火山灰で畑がやられ、出荷のめどは立っていないのが現状である。
 ちなみに明日葉は育ちすぎた葉や茎もちょいと硬いが問題なく食用とすることが出来る。しかし帰島してきた住人は、基本的に明日葉を食べない。食べるにしても育った葉や茎を食べずに新芽だけを採取して食べるのだ。ナゼか?火山ガスと酸性雨、降り積もった火山灰から染み出てくる成分が影響して、明日葉に毒物が蓄積しているから、毒物の蓄積が少ない新芽を食べるのだ、という。
 全体の葉が黄色や茶色に変色しているのならばともかく、実に見事に鮮やかな緑色に茂っているヤツは影響が薄いと思われるがね・・・とか、思っていた。何しろその程度で毒物が溜まるなどといっていたら、東京湾のハゼやアナゴなんかは毒物そのものを喰っているようなものである。それに普段、喰ったことのない内地の連中がチョロリと食べる程度ならば、全く以って問題はないだろう。養殖のハマチの刺身を食うほうが、よほど健康に影響があろうというものである。
 ヒマがあって釣れたら内地に魚を送ろうと思っていたのだが、やることがないから仕事すると言う状態であり、休みとなると雨が降っているか晴れていても強風で海が大シケ、更には昼の12時までに島の北側・神着にある三宅島郵便局に荷物を持ち込まないと当日の船に間に合わず、荷物の内地到着が翌日の夜となってしまう。冷凍させて送ろうとしても冷凍庫や発泡スチロールの箱などがないので事実上、生鮮品の内地送りは無理である。そこで滞在中、私を内地から支援してくれた方々に送ろうと考えたのが明日葉を送ること(一部、火山灰・火山弾・溶岩の三点セットを送りつけられてゴマカされた人もいたが。)だった。
 何しろ手間を惜しまなければタダでナンボでも取り放題である。それに今までなら一周道路をグルグル廻るだけだったのが、明日葉の野生の群生地を求めてチョコマカとした生活道路や農道に入り込んでいけるのだからちょっとした”島内探検”である。人の地所や畑にさえ入らず、山肌や道路っ端で明日葉を採っている限り、誰からも咎められるコトはない。それに明日葉の株を掻き分けて新芽を探し出して採取するというのはあっというまに時間が経つし、そして行動の成果がハッキリと現れるのだから、けっこう楽しい。
 私は自分じゃ食わないのだが、タラの芽・フキノトウ・ツクシ・野アザミなどを採ってくるのが趣味みたいなものである。そして山菜取りに行って熊に遭遇するか遭難するタイプである。のめり込んでついつい奥へ奥へと進んでいってしまう。さすがに島であるので遭難にすることもクマに出会うこともなかったが、それでもトラックに戻る道がわからなくなったこともあった。
 そんなコトをしつつ、1時間ちょっとの間に収穫した明日葉の新芽はポリエチレン製の土のう袋(10kg入りの米袋くらいの大きさで、土や砂を入れて運んだり、積み上げて水を防いだりする。これを使う辺りが土方の行動。)がパンパンに膨らむくらい、重さにすると約5kg強である。地元の人だとコンビニのビニール袋に八分目といった量しか採らないのだから、ここまで来ると採取ではなく乱獲である。人目に着き難い群生地や農道を見つけておいて、朝から半日も採ると結構な量が取れるので、これを箱詰めして三宅島郵便局に持ち込んで送れば一丁上がり、である。
 北海道の函館に単身赴任している父親には、北海道で明日葉など珍しかろう、会社の人たちと分けてね、と5kg。出稼ぎ作業員の飯炊きをしている山菜好きの母親には8kg。そして日頃からお世話になって、出発前には心づくしの料理で壮行会を催し、滞在中にはS木の入れ知恵により官能小説の単行本とコンニャクを送ってくれた『養老の瀧・上大岡店』の店長には都合2回、実に合計で13kgの明日葉を送った。もう、ウマでも満腹になるような量であるが、店長が一体これをどのように処分したのかはナゾである。もう一回くらい送ろうかと思ったのだが、これ以上送りつけると帰ったときに逆襲をくらうような気がしてやめておいたのだった。
 島内をグルグル走り回っているある日のこと、私は宿舎の近くで今の三宅島においては有り得ないモノを見つけた。赤地に白抜きで“ラーメン”と書かれた幟である。ら、ラーメン?私は急ぎ車を停め、ラーメンの幟がある場所へと歩いて近づいてみた。とりあえず、誰もいない。
 10m四方くらいの芝生の広場に白いコンテナハウスが一つ。中を覗くと、鍋や包丁などの調理器具が見える。どうやらこれが厨房らしい。その対面に角材と合板で組んだ梁にトタンで葺いた屋根と壁。出入り口側の壁は半透明のプラスチックトタンと厚手のビニールを使って照明を確保しているらしい。中には8人掛けで作り付けの木製テーブルが二つある。床は芝生そのままである。ここが客席か。
 客席スペースの外側の壁には屋号が書かれた看板が掲げられている。屋号は『ココナッツガーデン』とある。あいにくとこの日は、既に昼の営業を終えているらしく、試すことが出来なかったが後日、赤テントまで買い物に行った折に、ちょうど営業しているのを発見して試しに食べてみた。
 メニューを見る限り、昔からどこにでもある中華料理屋だが俗にラーメン屋と言われる店のラインナップと大差はない。値段もラーメン500円、ミソラーメン650円、チャーシューメン750円だし、ラーメン&半チャーハンや餃子&半ライス&半ラーメンなどというセットメニューも800円であるので、内地の店と変わりはない。私は餃子セット(餃子&半ライス&半ラーメン)を頼んだ。
 食いしん坊の私としては、知らない土地で知らない店に入ってみるというのは、楽しみである。何しろどんなものが出てくるのか判らないのだから、一種のギャンブルである。美味けりゃ情報、マズけりゃ笑い話のネタである。しばらくすると頼んだものがきた。
 直径15cmほどのスープボウルのような洒落たドンブリに、東京風の透き通った醤油ベースのツユ。麺はあまり黄色くない中太メンで、具はネギ(これは薬味か。)・絹サヤ・メンマ・チャーシュー(直径4cm・厚さ2mm)・ナルト。餃子はどうやら自家製のようで、やや大きめでキャベツやニラが多い野菜ギョウザである。
 肝心の味だが、ギョウザは美味い。大型の薪ストーブがあるとは室内が寒いからなのだろうか、少しぬるいのが難点であるが、味そのものは内地の店にヒケを取らない。ラーメンは不味くはないが、美味くもない。大学や高校の学食か、大型スーパーのスナックコーナーで売られているラーメンだと思えばよい。まあ、麺類ならばインスタントで賄えるので特に感動はないが、それでも目先が変わって楽しいものである。店員さんは私とさほど変わらないような歳の男性が2人に60歳くらいのおばちゃんが一人。多分、親子なんだろう。3人とも人の良い、親切な人たちであった。
 この店にてラーメンを食べる少し前、私は午後から休みとなったある日、我々が島にやってきたすぐ後に営業を開始して、報道陣を宿泊させていたペンションが経営するレストランに入ってみた。屋号は『ペンション・サントモ』。これほどの偏狭の地、離島でレストランとは・・・そのレベルを見てみるのも、また楽しい。私は単身、店に乗り込んだ。
「いらっしゃいませぇ〜。」
 うおっ!ウェイトレスである。女の子である。年の頃なら22、3だろうか、似たような顔の女の子が他にも2人いる。どうやら三姉妹らしく、結構カワイイ。充分にストライクゾーンの範疇である。他には八代亜紀の目をもう少しパッチリとさせた感じの、歳は40半ばくらいだと思われる女性の姿もある。たぶんママさんだろう。もちろん美人である。もっともこの評価、日常は50〜80過ぎのバァさんしか見ておらず、お笑い芸人の、だいたひかるでも『美人じゃん。』とか思えるような心理状態で下しているので怪しいものだが・・・。
 やはりキレイな女性を眺めつつ食事をしたいのだろうか、白を基調としたオシャレな店内には、明らかに場違いと思えるような汚れて雨に濡れた作業服を着た土木作業員が、ドロだらけの安全靴や長グツを履き、頭にタオルを巻いたまま、メシを喰っている。しかも新聞を読みながらはまだイイ方で、ヒドイのになると仲間と週刊誌のヌードグラビアを互いに見せ合いながら、ワイ談にふけっている土方もいる。元々上品な人物ではないだろうが場末の赤提灯か定食屋じゃあるまいに、店の人のみならず客の中にも若い女性もいるし、東京都建設局の職員も制服を着て食事をしているのだから、もうちょっと自重せいよ・・・。ともかくメニューチェックである。
 日替わりランチとして、この日はメンチカツか豚肉の生姜焼き。これにライスと味噌汁、コーヒーが付いて1,000円。内地よりちょい高いくらいか。他を見ると、どうやら他のモノも日替わりらしい。この日は味噌ラーメンが売り切れになっていた。あとはカツ丼・天丼・親子丼・牛丼・・・ん?・・・ここはレストランなのでは・・・?
 まあ、これらランチセットを含めて600〜1,000円で食べられるようだ。800円も払って、美味くもない冷たい弁当を三度三度食べるよりは遥かにマシである。私は生姜焼きランチを注文した。待つことしばし、「お待たせしましたぁ、生姜焼きになりまぁす。」という鼻に掛かった甘い声とウェイトレス特有の笑顔と共に、セトモノの皿に乗った、暖かい生姜焼きランチはやってきた。
 盛り付けから味まで全て内地のファミリーレストランのレベルである。しかし、タマネギの炒め方が足りずに少々シャリシャリするものの、久しぶりに口にする暖かい料理である。素直に美味いと感じる。しかも付け合せにスライストマトがある。この一ヶ月間、トマトジュースや野菜ジュース、プチトマトは口にしたものの、トマトそのものを食べたことはなかった。ちょっと早いトマトの青臭い香りが鼻腔を突き抜ける。スゥーッとストレスが抜けていく感じがする。島に来てから初めて野菜ジュースを飲んだとき以来の感覚である。本来の食道楽、とはこのことではあるまいか。ガツガツと食べて、タバコに火をつけて食後の一服。内地では山奥のタコ部屋かダム工事の飯場にでも入っていない限り、まず体験できない、ホントに久しぶりに充足した昼食である。
 満足し、呆けた表情で鼻からタバコの煙をたなびかせていると、タレントの千秋似のウェイトレスさんが、こちら片付けますねぇと、私に供した食器を片付けつつ、
「コーヒーをお持ちしてもよろしいですかぁ?」
と、訊いてくる。はいはい、コーヒーでミツカン酢でも、砂糖をブチ混んだ納豆汁でも持ってきてちょうだいな。
「はぁい、もう少々、お待ちください。・・・お母ぁさーん、コーヒー1つ、お願ぁーい!」
 この声で、コーヒーはすぐに出てきた。しかも、これまた久しぶりに口にするレギュラーコーヒーである。一口啜ると、私にはちょいと濃い目だが、そんなことはお構いなしに全身がとろけるような恍惚感に襲われた。もう大満足である。この状態でママさんから『ウチにムコ養子として入ってくれたなら、どの娘でもやる。』と言われたら、私は躊躇することなく、三宅島に永住していたことだろう。そのくらいの満足度、娯楽度であった。
 しかし、今の三宅島において外食可能な店舗は『ココナッツガーデン』と『(ペンション)レストラン・サントモ』しかないのである。この日は雨で我々のみならず、他の現場の作業員も多くて忙しいらしい。私が生姜焼きランチの代金を払い、お釣りを渡した瞬間に、先ほどまでの女神のような笑顔を浮かべていたウェイトレスの女のコは表情を一変、まるで夜叉の面みたいな顔つきで、他のテーブルを片付けに飛んでいったのだった・・・。歌『ドナドナ』に出てくる子牛の気持ちがちょっとだけ解かった気がした。
 食道楽の話しついでにもう1つ、アイテム的にはもう2つ、楽しみだったものがある。それは豆腐とパン。日を追って島内の復興が進み、両方とも島内で生産されるようになったものである。豆腐は現場と同じ坪田地区にある、島唯一の豆腐店で製造されるもので『白雪とうふ』という。これがキメ細かくて非常に味の濃い、美味い豆腐である。ものすごい柔らかいことと、美味いのですぐに売切れてしまうコトが難点であるが、現場からの帰りがけ、立ち寄った店に売れ残っている場合は必ず買い求めて食べていたものである。考えてみれば酒の肴で、缶詰以外に水分含有量が高いものはこれとキュウリくらいだった。この豆腐、竣工して内地に戻るときにいくつか購入して持ち帰り、母親に三宅島土産として渡したくらいである。
 パンの方も豆腐屋の近くにある『筑穴製パン』というパン屋で焼かれているもので私はたまたま、宿舎至近の“小林商店”においてロールパンを購入して食べてみたのだが何も入っていない、何も付けていないのに非常にさっぱりとした甘さ。ちゃんと麦芽で作った水飴のような甘さである。内地の自家製パンを作っているパン屋にありがちな、皮が硬いということもなく、フカフカである。内地の大工場で作られるパンなんかよりも、美味い。ひょっとしたら、このまま内地で販売しても好評になるのではと言ったレベルである。
 どうやらなんでも考え方らしい。考え方一つで何でも娯楽になってしまうのだな。私はこんなコトをしながらストレスを解消していったのだった。