万年床と氷水
我々を乗せたさるびあ丸を出迎える人と、これから乗船する人とで竹芝桟橋はごった返していた。船内の乗客たちは我先にと船を下りていく。我々は、ここまで来れば慌てることはないと、ゆっくりと降りることにしたのだが、それでも気が早くのだろうか、二等座席室から出たのは乗客中、一番最後だったはずが、なぜか下船順が中ほどくらいになった。
船の下船口にて、我々が寝泊りしていた宿舎の管理人さんとであった。先に聞いた話だと管理人さんは、世田谷に住む知人と共に仕事をするため、管理人の職を辞したそうである。
「じゃあ管理人さん、元気でやって下さい。」
「ああ、ありがとう。皆さんも達者でね。」
これからのことを互いに励ましあいながら、管理人さんは人込みの中へと消えていった。
我々も目の前にあるタラップを渡り、内地の土を踏む。N橋さんもY崎さんも笑顔満面である。内地の土を踏んで感慨に浸りたかったが狭い通路であり、まだ下船してくる人があるので、ターミナルのほうに歩を進める。私は予め、友達が迎えにくる旨をN橋さんに伝えてあったので、ここにて解散することにした。お疲れさん、ご苦労さん、とお互いに労を労いながら、二人は浜松町の駅に向かって行った。
残った私が、出迎えにきてくれているS木を探すと、果たして見送ってくれた時と同じく、超多忙な時間を割いて出迎えに来てくれたS木とI井君のデブ2人が建物2階の送迎デッキから降りてきた。
「おう、お疲れ。おかえり。」
「おかえりなぁーい、お疲れッス。」
久しぶりに見る、気のおけない友人の顔である。しかし、私の出迎えに際し、気に入っている女の子を知っているクセに、そのコを連れて来ないあたりが気が利かないヤツらである。だが、ここでもしどの女の子が「お帰りなさい」と笑顔で出迎えてくれていたら、私は後先考えずに抱きついていただろう。
私は2人の姿を認めて言った。
「なんだぃ、東京は空気が悪いなぁ。」
「三宅島にいたやつが何いってんだよ。」
「Kロさん、俺らが想像していたのと違いますよ。絶対にヒゲ面で降りてくると思ったのに。」
「そうだよ。俺ら言ってたんだぜ、Kロのことだから絶対にヒゲ面でクマみたいな顔で帰ってくるってさぁ。」
「それ、やろうと思ったんだけどな。夕べ念入りに剃っちゃったよ。」
こんな会話をしつつ、S木が借りたレンタカーが置いてある駐車場に向かった。何か飲んだり食べたりしなくて良いか?というS木の問いに、私の答えはこれだった。
「トーストが食いたい。」
「はぁ?!トーストっすか?何でまた。」
「トースト?・・・それはこの時間じゃムリだなぁ・・・。」
「向こうで食えなかったんだよ。あとは“森の水だより”以外のミネラルウォーターが飲みたい。」
「なんで?ミネラルウォーターって、エビアンとかっすか?」
「いや、硬水じゃないヤツ。向こうは水道水が硬水っぽいんだよ。んで、森の水だよりだけは大量にあるんだ。」
「ってことは、ヴォルビックとかクリスタルガイザーとかっすね?」
「そうそう、六甲の美味しい水とか南アルプスの天然水とか。」
「Kロ、他には?」
「セロリ・にんじん・キュウリの野菜スティックと千切りキャベツ、それと冷やしトマトと、何かあったかい食い物。」
これを聞いた二人は笑うばかりであった。
助手席に座り、まだ仕事が残っているI井君を会社に送るため、S木の運転で走る車の車中から見る久しぶりの東京の街は明るかった。そして人がたくさんいた。今まで島の中で見る灯りと言ったら、一周道路沿いにある街灯くらいなものだったので、見慣れているはずの街の灯りが眩しく感じられる。
「東京は明るいなぁ・・・それに、人がいっぱいいるわ。」
何気なく呟いた私に、S木は前方を指差し、とんでもないことを言い出しやがったのである。
「アニキ、あれが東京タワーですぜ。」
「知ってるよ!んなことはぁ!!」
私は生まれてこの方、神奈川以外に居住したことがないにも関わらず、一ヵ月半の間三宅島にいただけで、もう完全に田舎者、おのぼりさん扱いである。このやりとりに爆笑していたI井君がふいに口を開いた。
「あ、K池さん(私の気に入っている人。名前は特に伏す。)、3月20日付けで退職ッス。」
ようやく内地に帰還して安堵感に浸っているときには聞きたくない話である。こいつも話をするタイミングをことごとく外すヤツである。この辺が、I井君がヘタレと呼ばれる所以であろう。帰還した安堵感もどこへやら、軽いショックを覚えた私は、平静を装うのに苦労した。
やがて会社に到着したのでI井君を下ろし、芝公園から首都高速東名高速道路を使って我が家に到着した。途中の話で、どこかで夕食を共に摂ろうということになったのだが適当な店が思い当たらず、いつもS木と行ってクダをまいている、養老の瀧・上大岡店に行くことに。但し、私はこの夜は自宅にて眠りたかったので、帰りのことも考えて自家用車で行くことにした。
自宅玄関内に荷物だけ置いて、すぐさま愛車・サファリの運転席に座る。行く前と何一つ変わらない車内だが、座った途端に落ち着いた。エンジンを始動させると、その音はまるで“おかえり”と言われているような気分がした。コイツも走りたかったのだろう、車は実に快調に走り出した。
午後10時と結構な時刻であるが、中原街道保土ヶ谷バイパスも交通量が多い。三宅島ならこの時間、屋外には人っ子一人いない。それを考えれば三宅島というところは実に健全な土地ということである。交通量は多いが渋滞をしている個所はない。程なく上大岡に到着した。私とS木は同じ駐車場にそれぞれの車を入れ、そこから徒歩にて店に向かった。二人並んで歩いているとS木が言った。
「Kロ、立て替えていた携帯電話の料金、もらえるか?」
「あ、今は持ってないから明日、郵便局に行ってからだな。」
私は派遣中、S木に携帯電話の料金を立て替えて払ってもらい、帰還後に返すことになっていたことを思い出した。しかし、手持ちの現金がなかったので、明日にしてくれという返事をしたのだった。
「え、Kロって郵便局の口座だったっけ?」
「いや、信用金庫だよ。この時間じゃ下ろせないだろ?」
「口座にあるならそこで下ろせばいいじゃん。」
そう言ってS木は近くにあったコンビニを指差した。
三宅島においては当然のことながらコンビニなど存在せず、お天道さんが沈むと郵便局が閉まってしまうので金を下ろすことが出来なくなる。銀行も東京都庁・三宅島支庁のなかに“みずほ銀行”があるが、平日の午前9時〜12時、午後1時から午後3時までという、銀行なのに昼休みのある営業なので、まず使い物にならない。それにしてもたった一ヵ月半、三宅島に行っていただけなのにコンビニで24時間、預金の引出し可能だと言うことを忘れていた。
お金を下ろすのにコンビニに入っても、軽くショックを受けた。店内が眩しいくらいの照明に照らされ、棚には様々な商品が溢れているのである。更には女性のお客さんがスカートを履いているのである。完全に田舎者の様相を呈している私の様子を、事情を知らない人が見たら「コイツはどこの山奥から出てきたんだ?」と思うだろう。
S木に電話料金を渡し、店に向かう。それにしても街が明るいし、“ガマ”を踏まないよう、足元を注意する必要もない。しかも道端にある自動販売機がどれでも使える。昨日までは考えられない、考えても実現できないスゴイことである。到着して店に入ると私の姿を認めた店長が、いつものように少々ワルのにじみ出た満面の笑顔で迎えてくれた。
テーブル席に通され、早速注文である。S木が手を拭きながら私に尋ねた。
「今日は帰るってんだから、ウーロン茶にする?」
私は店長に向かって言った。
「大ジョッキに氷を一杯詰めて、水道の水を下さい。」
「水ぅ?!水、飲みたいのか?」
「監督(店長。S木が加入しているソフトボールチームの監督でもある。)、三宅島に氷がなかったらしいんですよ。」
居酒屋で水を注文すると言う私のトンチンカンな注文に、店長は爆笑しながらも快く応じてくれた。S木も車で来ているので、午後10時を廻っている居酒屋でシラフの大人の男が水と冷緑茶で乾杯を交わすというヘンな光景になってしまった。ジョッキから冷たい水が私の咽喉を通っていく。無味無臭の水道水と氷で冷やされていることによる清涼感。三宅島の水道局の職員には申し訳ないが、もう、トリ肌が立つくらいにウマイ。
「うまーいぃ!!水がしょっぱくなぁーいい!!」
「なんだぁ?しょっぱくないって、三宅島の水道は海の水でも濾しているのか?」
事情を説明する私の話を聞いて、S木も店長も爆笑するのであった。
お通しは明日葉のおひたし。この明日葉は私が三宅島から13kgも送りつけたものである。ウマイ。食べてみて、これを何とかして現地で食べれば良かったと思った。
野菜スティックも頼んだ。あいにくセロリがないということだったが、ニンジンとキュウリを切って千切りキャベツと共に大皿一杯、出してくれた。もう、手づかみで貪った。続いて冷やしトマト。タイミングが良かったのか、熟したトマトを出してくれた。口に入れると心地よい酸味と冷やしたことによる清涼感、独特の甘味と青臭さが口腔に広がる。先に頼んだポテトフライも出てきた。S木が気を利かせて頼んでくれたダブルサイズ、山盛りである。久しぶりに口にする暖かい、というよりも熱い揚げ物。サクサクとした歯ざわりと熱が心地よい。
話はちょっと進んで、帰還の翌日、母が勤める飯場に行って帰還の報告をした。母の部屋に入るなり、傍らにあった手付かずの食パンをいきなりトースターに放り込み、焼いて食べた。帰りのフェリーの中で食べたピザなんぞ比較にならないほどのウマさ。キツネ色に焼きあがった香ばしいパンと、溶けたマーガリンの芳香が私を魅了した。そして市販の6枚切りの食パンを一斤丸ごと食べきった。
「お腹が減っているなら、ご飯もあるよ。」
「いや、米のメシなんてどうでもいいんだ。トーストが食いたいんだ。それより何でもいいから味噌汁を作ってちょうだいな。それからセロリはないかな?」
母も歳をとったようで、私が顔を出すとあれやこれやと食べ物を出してくるのだが、私が今食べたいのは三宅島で食いたかったものである。島での生活の様子を聞き、半ば呆れながら、私が送った明日葉の味噌汁とセロリを出してくれた。この他、キンピラゴボウと千切り大根の塩漬けを食べる。セロリのアクと香り、市販品のように甘くない味付けのキンピラゴボウと漬物の固めの歯ごたえ、インスタントのものとは雲泥の差の、程よくダシの効いた熱い味噌汁・・・。
そしてこの日の夜、再び養老の瀧に行って、昨夜は飲めなかった生ビールを飲んだ。よく冷えたガラスのジョッキで飲む冷たい生ビールである。帰りのフェリーの中で飲まなかったのは、ここで痛飲しようと思っていたからである。乾杯するのももどかしく、真夏の風呂上りでもないのに中ジョッキを一気飲みする。店長の好意によって作られた特別メニュー“紙カツ”が出てきた。飯場で出た冷え切っていてベシャベシャになったカツと違い、熱くてサクサクとした衣の食感。添えられた山盛りの千切りキャベツ。キレイに平らげた。
ここに書いた食べ物全て、口にした時はあまりの美味さにトリ肌が立ち、特に母親の作ってくれた味噌汁は、私が生まれてこの方食べた料理の中で最高の美味と思えるほどで、本当に涙が滲むほどであった。

話を元に戻して、帰還を果たした夜、どうしても自分の寝床で眠りたかった私は午前零時過ぎに、実に43日振りにシラフの状態のままで帰宅した。玄関を開けて先ほど放り込んだ荷物を持ち、出発したときと同じように、誰もいない室内に向かって言った。
「ただいま。」
小学校の時の遠足で、学校に帰ってくると校長先生は必ず「家に帰って、玄関のドアを開けて”ただいま”というまでが遠足です。」と訓示をした。遠足ではないが、今の私も同じ状況であろう。これにて私の『三宅島派遣・三宅高校復旧作業』の全工程が終了した瞬間だった。
部屋に入って深呼吸すると43日間不在だった部屋である。少々、カビ臭い。照明をつけると、これまた出て行ったときと同じく、とっ散らかった部屋の様子が目に入る。こんなにとっ散らかっていたっけ?と思いながらも着ている服を脱ぎ、出発当日の朝、起床したままの状態のベットへ潜り込んだ。可愛らしい女の子が使っているような軽い羽毛布団ではなく、重さ10kg超の真綿が入った重たい布団、しかも湿気で冷たくて我ながらクサい。
そんな万年床であっても心地よい。何の気兼ねもなく、何の遠慮もない空間。機械で言えば全ての動力・操作を止めた状態となった私は、泥のように眠ったのだった・・・。