あとがき
 最後となってしまいましたが、この書き物は、三宅島の状況を全く以って誹謗中傷するものではありません。そしてここに書いた私の行動で、国の法令・条約、東京都や三宅島の条例に反することがあれば、それは私自身の責任であり、私としては、せっかく三宅島に派遣されるのだから報道によって知らされている三宅島の状況の詳細と報道されない実態を記録できれば、という思いでこれを書き記しました。
 これを書いている間もスマトラ沖地震の余震と九州・福岡で地震があり、三宅島の報道どころか、中越地震や先のスマトラ沖地震の報道も疎らになってしまいました。私がいた都立三宅高校は何とか復旧しましたが、三宅島だけではなく、世界中に発生したあらゆる自然災害の被災地では名もなき防災作業者が様々な悪条件の中、持てる能力を最大限に発揮し、その難関を克服して、復興作業に全力を尽くしています。
 それは土木建設業界に従事する者にとって辛いのはごく日常、三宅島は特殊な環境ではありますが、中島みゆきの歌ではありませんが誰に称えられることもなく、NHKで取り上げられるはずもないような、小さな小さな“プロジェクトX”が進行しているのです。
 確かに作業員は“何であろうと作業は生活の糧”としてはいますが、復興が進んで地元住民の方々に笑顔が戻ってきたり、作業地域の子供達から「工事のオジさーん!がんばってねぇー!!」と言われるのは、照れくさい反面、とても嬉しいものですし、工事が終われば達成感はもとより『人助けができて良かった。これは誇りになる仕事だ。』と感じるものです。
 これをお読み戴いた方にお願いしたのですが、年度末の道路工事はともかくとして、地震・台風、大雨による水害や風雪による災害などの復旧作業をしている場合は、感謝してくれとは言いません。ただ、不便だとか工事の音がうるさい等の苦情はホンの少しだけで結構ですから我慢して欲しいです。
 私自身も冒頭に書いたように、三宅島に渡った当初は“三宅島の復興など知ったことか”と思い、この書も釣りの話が中心になるだろうと思っていましたが、実際に行って見て触れて感じてみると、いかに報道の内容が一部分しか取り上げていないのかを実感しました。
 被災地と言うものが、どこか自分の生活とは関係ないと思っていましたが、自然災害を蒙るということはいかにエネルギーを消費するものなのかを思い知り、ボランティアの方々の精神は立派でありますが、どんな被災地でも軽々しい気持ちで踏み込んでいってはならないのだと思います。
 行政もへたに復興などせず、希望者を募ってありのままの三宅島を見せた方が、人々の防災意識や被災すると言うことに対する心構えが出来るのではないかとも思います。
 島の状況や経緯など、私の目で見たままをできるだけ正確に書いたつもりであります。聞いた話では、又聞きの又聞きなどもありますので、事実と違う点もあるでしょうが、取材をかけたつもりではありませんので平にご容赦下さい。
 そして私の派遣中、多くの方々に有形無形の支援をしていただきまして、誠にありがとうございました。深く感謝いたします。
 尚、最後になりましたが、三宅高校のグランドに設置されていたホームベースは内地に持ち帰ろうかと思いましたが考えた末に、野球部の部室に忍び込んで、おいてきました。
 何故なら二つとも、島民が非難している4年6ヶ月の間、風雨とガスと火山灰に晒され、それでもじっと耐え、島民の方々や学校の先生、生徒、野球部員の『バックホーム』を待っていたのですから・・・。