見送りの酒
アメリカ軍のザックとスポーツバックに荷物を詰め込んで、いよいよ家を出る時間である。戸締りはもちろん、ガスの元栓、トイレの水道栓を閉め、一つ一つ指差し確認していく。いつもはロクに掃除などしない部屋であるが約一ヶ月の間、帰宅できないとなるとやはり室内を見渡してしまう。とっ散らかったままで出かけるのは気が引けるが、仕方が無い。
17時過ぎ、時間である。部屋の照明を消し、荷物を持って靴を履く。ドアを開けるとしばらくは心から安息できる場所はない。別に誰かいるわけでもない室内に向かって私は言った。
「行ってきます・・・。」
ドアを閉めて施錠するとブルッと武者震い。うんと気合を入れて駅へ向かった。途中、行きつけの床屋の親父と酒屋の親父が私を見つけ、それぞれ激励してくれた。
夕方の帰宅時間も近い。横浜線の上りも乗客が多く、残念ながら席は空いていない。もっとも、空いていたとしても大荷物である。私は車両の隅に荷物を置き、立っていくことにした。普段は電車に乗ることなど殆んどない。たまには電車の車窓からの眺めも良いものである。
船の出港は22時30分。同行するN橋さんと竹芝桟橋での待ち合わせが21時30分。この早い出発にはワケがある。
まあしばらくの間、店で酒を飲むなんてことはないだろうから、ということで見送りも兼ねて、友人のS木が送別会(行ったきり帰ってこないわけではないので、本来ならば壮行会。)を開くと言う。
話は前後するが、この数日前にS木行きつけの店で、やはりS木が所属するソフトボールチームの監督が経営する居酒屋『養老の瀧』で壮行会を開いてくれた。私はこのソフトボールチームに所属しているワケではないが、ひょんなコトからこのチームが練習などをしているグランドを整備するハメになり、そのことから懇意にさせてもらっている。ちなみにこの店に、養老の瀧はどうも・・・と、渋るS木を引っ張り込んだのは私である。
店長から事前に食いたいものの希望を聞かれたので、ポークソテー紙カツ(ペラペラの肉で揚げたカツ)とキャベツの千切りを所望したのである。我ながら貧相なリクエストである。しかしこれが当たった。詳しくは後に書くが、今思い出しても美味かった。週末と言うこともありお客さんが多くて、非常に忙しそうな店長であるにも関わらず、心づくしの料理をほう張りながら、質問攻めにあう。
この段階で三宅島に関して曖昧且つ断片的な情報しか入ってきていない。私も下見したN橋さんの話と報道されている情報しか持ち合わせていないのである。私は知っている限りの答えしかすることができなかった。
後で駆けつけたS木の後輩、I井君も加わって、結構な時間(23時)までたらふく食った。酒もしこたま飲んだ。そして送別の品(壮行の品が正解。)をもらった。
S木に手渡された紙袋の中には小さな小箱。それを見た私は笑ってしまった。
小箱の中身は『ウコンの錠剤』である。確かに私は、このウコンの錠剤をよく飲んでいる。
「酒にしようかと思ったんだけど、行きの船の中で飲みきる可能性があるからさ。それに島に渡ったら飲むしか楽しみがないだろうし。そしたら二日酔い防止で、これにしよう、って決まったんだよ。」
これには素直に感謝を示し、渡島の荷物の中に抜かりなく入れた。

話を元に戻して、JR横浜線で東神奈川に行き、京浜東北線に乗り換え、S木と待ち合わせている新橋へ向かう。S木とI井君が勤める会社が田町駅近くにあることから見送りでご馳走してくれるなら田町駅周辺で、と希望していたのだが、竹芝桟橋までちょっと遠いということで新橋になったのである。
夕方の京浜東北線北行なんぞ空いているハズ、と思い込んでいたが、案外と混んでいた。大荷物のため、先頭車両の一番前のドアに陣取る。が、混んでいるなんて状態ではなくなってきた。完全にラッシュになってしまった。他の乗客のひんしゅくを買いながら、どうにか新橋に到着。乗客を掻き分け荷物を引きずり出し、待ち合わせの烏森口に向かった。
烏森口横にある大型コインロッカーにザックとスポーツバックを放り込んでいるとS木がやってきた。
S木に伴われて店に向かった。武蔵と言う、つまみがほとんど290円という炉辺焼きの店らしい。ヘタに高い店に連れて行かれるよりもこちらのほうがありがたい。店に向かう道すがら、I井君は仕事で来られないと言う。
このI井君、S木の大学時代の後輩で勤め先も同じ。S木の体重が0.1トンのデブでI井君の体重も0.1トンの肥満体とこちらも同じ。しかし決定的な違いは、海の中層に住む魚を釣るのが目的なのに海底に生息する魚を釣り上げたり、酔ったところで誰もが「こいつは有り得ないだろう」と思うような女の子に手を出し、しかも途中で相手に寝られるというヘタレを演じるという、要するに“肝心なところでハズす”ことにかけては、私はこれ以上の人を知らない。
そして今回も「Kロさんを見送るんだぁ!」と意気込み十分だったが、予想できなかった障害が発生したという。まあ、私の見送りなんぞよりも仕事のほうが大事である。常々そう言っている私であるから、障害を放ってきたらハリ倒してやるところである。
そうしたことでS木とサシで飲むことになる。しょっちゅうやっていることなので、今更込み入った話もない。炉辺の席に座り、寒かったので熱燗を頼む。お酌をするのもされるのもキライなので手酌である。簡単な乾杯である。
「じゃあがんばって。」
「はいはい、行ってきます。」
「なんか好きなもの頼みなよ。」
「そうだなぁ・・・。」
島で絶対に食えなさそうな銀杏を頼む。今日から本格的な帰島が始まるのである。飲食店などはないだろうし、民宿に泊り込むという。しばらくは焼き鳥や串焼きの類を口にすることはできないだろう。
「貝とかどう?」
「いや、これからしばらくのコトを考えれば、ここは肉だろう。」
「ああ、そうか。これからは魚攻めだろうからな。」
「まあ気にしないで、適当につまむから。」
「Kロこそ気にするなよ。オレの方が適当につまむよ。」
「あぁ〜それにしてもしばらくはこんな光景を見ることもないんだなぁ・・・。」
「まぁな。こんなに人もいないだろうし。」
こんな会話をしつつ、S木・I井君と勤務地は違うが同じ会社、二人にとっては会社の先輩で残業中のS司さんにメールを送る。この人は私が磯釣りについて教えを乞う人で、メジナを始めとする魚を大小取り混ぜて釣り上げる。磯釣りに行ったときだけはカッコイイ人なのである。私はこの人に沖釣りを伝授している。そして私の三宅島派遣が決まったコトを教えると、仕事の苦労などを心配するのではなく離島、しかも全く場荒れしていない場所に費用の心配なく行かれることに羨望していたのだ。その上で、
「いいにゃぁ〜。おれも行きたいにゃぁ〜。(“〜にゃあ”は、この人の口癖です。)」
と、勤務の真っ只中の時刻に私宛にメールを送ってくるのである。
以前は「民宿の娘さんをコマして釣り民宿にしちゃえ。」などというメールをしつこく送ってきたが、ここまでくるとさすがに心配してくれているようである。時を同じくしてS木の携帯にI井君から連絡が入った。
「お、I井、障害クリアだってさ。」
「へえ、じゃあ来るのかな?」
「こっちに向かうってさ。」
「来てくれるのは有難いが、時間が・・・。」
その時だった。私の事前に設定しておいた時刻となり、携帯電話のアラームが鳴る。設定の段階で考えて、船に乗って未知の世界に行き、人を救うのである。このことから選んだ曲は『宇宙戦艦ヤマト』である。規模は違いすぎるが、やはり船出にはコレである。
竹芝に向かう時間ではあるが、タクシーを飛ばせば10分で到着するということで、I井君の到着を待つことにした。電車だかタクシーなんだか解らないが、焦ってこちらに向かって事故でも起こされたら元も子もない。とにかく慌てずに来いと伝え、到着を待った。30分ほどで到着といっていたが、よほど急いできたのだろう。21時を少し過ぎたくらいに、I井君が到着した。しかし私はもうすぐ竹芝に向かわなくてはならない。それこそ、せっかく見送りの宴に駆けつけてくれたI井君を、追い立てるように店を後にしなければならなかった。