ここで寝起きしろ?
元請会社の代理担当Y中さんが運転する軽四輪ワゴンにN橋さんと私、雇われ監督のM本さん・下請け会社のI嵐さんの5人が乗り込み、フェリーが着岸した三池港とは島の反対側にある阿古地区に向かった。
阿古地区は島の西側に位置し、やはり港がある。風向きの関係で三池港にフェリーが着岸できない場合、フェリーは阿古港に着岸、客や荷物の乗降を行うのである。車は島内周回道路を走り、阿古港を通り過ぎて1キロほど行った先の路地を左に入った。看板には“ふるさとの湯”と書いてある。
やはり本格復旧は今日からである。先遣帰島している島民がいて、既に作業員が復旧作業に従事しているとは言え、我々が乗ってきた船と同じ船に本帰島する島民が乗っているのである。事前に聞いていた、宿舎となるのは民宿だというのも、実際には国民宿舎ユースホステルなどの公共の宿なのであろう。果たして私の予想は的中した。
ここは平成7年、火山島特有である豊富な温泉資源を利用し、三宅島を訪れる観光客と島民の為に三宅村と東京都が建てた宿泊施設を併設した温泉宿である。しかし残念なことに、今回の雄山噴火により温泉が枯渇してしまったようである。
我々を乗せた軽四輪が芝生斜面に建てられたプレハブ小屋の前に駐車すると、そのプレハブ小屋から見たとこ四十台半ばの、「小倉久博とパパイヤ鈴木を足してルート2にしたような顔の小柄な親父が出てきた。
「そこ、停めちゃダメだよ!すぐ出るの!?」
観光客ではなく仕事で渡島してきたとはいえ、まだ朝の7時過ぎ。2時間前に到着したばかりで勝手が解らない客に向かって、この態度である。しかし、元請のY中さんの腰は低かった。
「はい、すぐにでますから。すんませんなぁ!」
ちなみに今回の仕事、宿舎は元請会社の支給である。ここに宿泊して仕事をしなさい、というシステムである。元請会社が下請けの作業員の宿泊費用を支払うのであるから、三宅島における現在の状況であっては、宿側としては大得意先なのである。平素であっても1泊素泊まりで4,000円は取るだろう。食事が朝夕付けば7,000円はするだろう。同じ内容なら公共宿泊施設であっても5,000円はカタイだろう。大雑把に計算しても私の所属会社だけでも常駐が3人、一ヶ月であるから30日×3人。450,000円である。
東京都だか三宅村だかが工事を発注していて、村所有の施設を復旧作業従事者に提供する。それには観光客向けのようなサービスは出来ないので、最低限の費用で使用できるはず。施設側としては利益は出ないが、維持管理には十分な値段であろう。
儲けが無いという点では、仕事で渡島しているとは言え客である我々と、儲けは無いし、仕事であるからという管理人の立場は仕事の気苦労の点では対等である。なんでこんなに下出にでるんだ?そんなコトを考えながらY中さんの後について歩いていくと、観光用公共宿泊施設とは明らかに造りの違う、2階建てではあるが、プレハブ建築の建物に誘った。
「え・・・ここ?」
「まさかぁ・・・ここなのかなぁ・・・?」
「ここは休憩所か食堂で、寝るのは別なんじゃないか?」
「ずっと、ここなのかなぁ・・・?」
我々の不安をよそにY中さんは、そのプレハブの中に入っていく。仕方なしに我々もそれに続く。
建物の中にはちょうど現場に向かう作業員達がワサワサとしている。どうやらここは復旧作業員専用の宿舎、俗に言われる飯場である。これは東京都と三宅村が作った、島内復旧事業従事者用の宿舎兼避難用シェルターで、建物には二酸化硫黄ガスをろ過する脱硫換気装置が設置されている。居室の広さは2.4m×3.6mの六畳間にベッドが2つの2人部屋。これと同じ部屋が一棟に50部屋あり、100名を収容できる。建物の出入り口と各部屋の窓は2重になり、窓は開かない。いざガス濃度が高まって危険な状態になったときには、出入り口が閉じられ、食堂(別棟)に行く以外の外出は禁止になる。
この時期の三宅島は西からの10〜15mの季節風が冬の間中、吹くらしい。私のいる“阿古ふるさと館”は島の西南西に位置するので季節風に飛ばされて、こないことは無いのだろうが(たまに硫黄の匂いがする。)ガスの臭いも気配も感じられない。風向きが変わると確かに硫黄の臭いがするのだが、これは殆んど温泉地並みの臭いでしかない。その代わりに、宿舎の玄関を出て200mほどだろうか、すぐに海(磯)があるのだが、西からの強い季節風にあおられて見た目3〜4mの波が絶えず磯岩に打ち付け、波しぶきを上げる。海面から10mくらい切り立ったテーブル岩が足場(陸続き)であるが、その足場をはるかに越えて波しぶきが上がる。空に打ち上げられた波しぶきは、強風に流され陸の奥地まで飛ばされてくる。だから、朝の出勤時間帯は宿舎の前の道路が濡れているのであるが雨ではなく、飛ばされた海水が降り注いでいるのである。宿舎の前には各自が通勤・作業車を駐車しているが、降り注いだ海水の飛沫により、フロントガラスは塩で真っ白に曇る。出勤前にフロントガラスに真水をたっぷりとかけていくのは日課のようである。
さて、部屋に入って私と中橋さんは唖然とした。ベッドがあるのはともかく、ベッドの上に布団が敷いてある。これも良かろう。しかし、この布団、ベッドメイキングされて敷かれているのではなく、雰囲気としてさっきまで誰かが寝ていて起きて出て行ったまま、といった状態なのである。敷布団や枕にはシーツや枕カバーなどなく、枕など頭の脂で黒ずんでいる。布団などは汚れている様子はないが、片側のベッドには敷布団の他、掛け布団が1枚、もう片方のベッドは掛け布団が無くて毛布が2枚だけ。しかも畳んでおいてあるのではく、寝ていて起き上がってそのまま、といった状態なのだ。そして飯場である以上、行動に制限がある。
食事の時間は朝6時から7時30分、夕食は18時から20時まで。詳しくは食事の項で詳しく書くが、リミットタイムまでに食べ終わって食堂から退出しなければならない。
入浴は17時から21時、シャワー室は別に設置されているが、これが食堂内に設置しているために20時まで、正確には20時過ぎまで管理人がいるので管理人が管理室に引っ込むまでに済まさなければ(着替えを済ませて建物より退出できる状態。)ならない。
ここは元々温泉保養施設なので基本的には大浴場を使う。私は温泉好きなので、疲れた身体を休める為には有難い話である。が、今回の噴火で温泉が枯れてしまったので、水道水をボイラー焚きしているとのこと。いきなりアテが外れてガッカリしたのだった。
後に入浴しようと、大浴場に赴いてみた。さすがに観光・保養施設であるので石造りの浴槽が大・中・小と3つある。しかし、お湯が入っているのは2m四方の、大の大人が4人も入れば一杯になってしまうような一番小さな浴槽だけである。せめて一番大きな浴槽(5m×2.5mのサイズ。)を使えばいいのにと、理由を訊いてみれば「お湯を沸かす燃料がもったいないじゃん。」とのこと。ここには本館・新館合わせて200名からの防災関係者が寝泊りしていて、これらの人たちが毎日全員ではないにしろ利用するのに、これである。それでもさすがに、この小さい浴槽1つと洗い場では、時間のズレがあるとはいえ200名の入浴者を捌ききれないのだろう。大きな浴槽にもお湯が張られていた。女湯である。女湯の方が脱衣場が広いので、こちらをメインにして使用させ、男湯のほうは補助的に使用されているようだ。ここには女性はテレビか雑誌、あるいは各自が見る夢の中にしか存在しないからこそ出来る、荒ワザである。しかし、女湯のほうも大きな浴槽だけしかお湯が張られていないのであった。そして掃除をしているのかいないのか、洗い場の床がヌルヌルである。更に大雨が降ると脱衣場の天井から雨漏りするのだから始末が悪い。
棟内の注意書きや広報文を見ていると“室内の喫煙や魚を焼く行為は禁止します。もし禁止事項を破った場合は即、強制退去処分にします”とある。室内禁煙はまだわかるとして、部屋で魚を焼くな??ワケがあった。
避難解除になった今の島内でも、娯楽の“娯”の字もない。解除前はそれ以上に娯楽など無いのである。いくら海千山千の土方達でも気持ちが荒むし、作業意欲が低下する。作業員たちの心を無聊するために、三宅島観光協会と土木組合なのだろうか?釣り大会を開催していたらしい。その時の獲物を刺身で食うのは芸が無いとばかりに、居室で煮炊きして食べたらしいのである。あとで知ったが、宿舎内には金が掛かるとばかりに自炊している作業員もいて、その連中が居室で煮炊きしているらしい。
何しろ棟内に外気と棟内の二酸化硫黄ガスの濃度表示板が設置してあるくらいである。魚を焼いてもタバコを吸っても二酸化硫黄は発生しない(多分)が、検知センサーは二酸化硫黄だけを感知するのではない。当然、煙を感知して異常警報を発する。
すると警報音が鳴るくらいならまだしも、棟内にいる作業員に異常・危険を発令するために居室の照明や電源が落ち、居室内に設置されている脱硫装置が作動し始める。その度に各居室から我こそは先任なり、という作業員がワサワサと出てきて、事態を解決するのである。後に判明したがこの施設、復興作業員・防災作業用の宿舎なのにも関わらず部屋貸し(風呂・トイレ・流しが共同のアパート・マンションと同じ。)であり、室内にある家具・寝具・テレビなどは全て、部屋を借りている元請会社の負担で揃えられているという。なのにこの施設の一ヶ月あたりの賃貸料(家賃)は90,000円!!しかも1社あたりではない。1部屋あたり、なのである。築年数が3年とはいえ、私の住む横浜市緑区であれば築10年、3LDK程度のマンションが借りられる金額である。六畳サイズのワンルームで収納はなし、都内の一等地でもないのにこの値段。「作業員なんて死なずに寝られるところがありゃいいんだ。」といわれているようなものである。行政は何を考えているのか?
こんな状態なのに宿泊費・食事代の他に、入浴料をとられる。通常の公共事業ではなく、火山災害の復旧、しかも有毒な火山ガスが発生している場所での作業なのだ。宿泊費と食事代は仕方ないとしても、せめてこれくらいは都の負担でも良いと思うのは私だけか?
その費用を負担できない会社や作業員に、それを不服に思うなら他で寝泊りしろということなのだろうか?それでガスが原因で死んだり重度の障害が残ったりしたら、そのときの責任の所在を都の担当者や石原都知事に聞いてみたいものだ。
そして、こういうことをマスコミは報道しない。したとしても“復旧作業員達は都の用意した安全な施設に宿泊し、急ピッチな復旧作業を行っている”とかだけなのである。
横浜を発つ時に、ウチの会社の社長は確か「民宿に泊まって、ノンビリと仕事してきな。」といっていたハズであるが、この事態を知っていたのだろうか?一次下請けのI嵐さんと現場管理委託を請けたM本さんは不快感を露にし、元請の担当者に宿舎の変更を求めたが、元請の担当者自身が、場所は違えど同じく防災関係者宿舎に入って活動しているので無理な話だった。
I嵐さんは後悔しきりで、確認しておけばよかった、とつぶやいている。そしてあまりの状況に責任を感じたようで、夕刻に現場から戻ってきたおりに宿舎近辺にある商店(事前に帰島して営業を開始していた。)で酒・肴や日用品などを買い求めたが、その費用を全部負担したのだった。
こうして我々の生活は不安と不満からのスタートとなった。