東京都だよね?
今回は仕事の契約上の条件として元請会社が一次下請けに4トンダンプ1台と0.45立方メートルのバケット容量を持つパワーシャベル1機を無償供与してくれることになっていた。
東京都とは言え地方都市である。横浜だって少し都市部から離れた宅地造成現場などでは、どこのメーカーでいつ作られた、なんていう重機だ?なんて機械が現役で動いているのが現状である。もっとも最近では低騒音・低振動であり、更には環境問題に配慮された低公害型エンジンを搭載した建設用重機に取って変わられているが。であるから、少々くたびれた機械がきても一向に気にしないのがつねではある。が、コイツはすこぶるグレイトな外見だった。
操縦席のフロントガラスは窓枠ごとない。腐って落ちたのか取り外したのか不明だが、フロント部分のガラスがない。その上、操縦席に乗り込むためのドアは付いているものの、ロック機構がイカレているらしく、屋根の支柱とドアの枠が荒縄で縛り付けられている。当然、開閉は不能。乗り降りは、外れているフロントガラスの部分から乗り込むのである。このクラスのパワーシャベルになると操縦席はキャビンで覆われているので、屋根もある。それすらも12ミリのベニア板とバンセン(針金)で補修されている。その他、シート調整はできない、ヒーターは動かない。おまけに肝心のバケットに磨耗と腐食の為に穴が開き、掘った部分を平らに仕上げる為に取り付けられた板が半分ないのである。まあ、普段から似たような機械を使っているので呆れるに留まったのだが、想像を越えていたのがダンプだった。
フロントウインカーが割れているのは序の口。テールランプなど丸ごと壊れていて、やはりバンセンで止められているが、すでにその効果も無くなってコードが辛うじてバンセンに引っかかってぶら下がっている状態。当然、作動などしていない。排気ブレーキ、ウィンドォウォッシャーは全く動かず、また重要な荷台部分のアオリが切れないので、土が落ちきらずにダンプアップが終わっても荷台が降りてこないと言う事態になる。これでは仕事にならないから、といって、換えてもらったダンプが前にも増してのグレイトさ。
助手席のドアが内側から開かない。助手席側にある、乗り込む際に用いるステップが腐ってしまい、落ちている。運転席側のドアが閉まらない。正確には閉めるのにコツがいる。左側のウィンカーは前後とも作動せず、頼みの右側テールランプもブレーキを掛けた際のストップランプが点灯したりしなかったり。スピードメーターは動かず、排気ブレーキが切れた瞬間に針が跳ね上がる。フロントのバンパーは取り付けの根元が腐っていて、バンセンで無理やりくくりつけてある。おかげで走行中にナンバープレートを落とすところだった。
さらに走行中にドアの窓ガラスがストンと落ちて動かなくなったので、ドアの内装を引っぺがし、手動で持ち上げてガムテープで落ちないように補修する始末。車体後部のナンバープレートなんぞ、汚れて、折れ曲がって見えない。本当のところはわからないのだが、車内にあった車検証は平成6年で車検は切れていた。(多分、書類が無いだけだとは思うが。)
そしてこのダンプに雑草混じりの火山灰を満載させ(作業構内であるから過積載させた。)何度かダンプアップ(荷台を持ち上げて土砂を落とすこと。)をさせた後、宿舎に帰る途中で今までしなかった異音がするようになった。
頼むから修理してくれとお願いして、更に代車を賜わると(もう、こう書いてやる。)運転席のドアが内側から開かない。窓ガラスはまともに閉まらない。ここまで来るともう笑うしかなかった。
当然のようにテールランプはイカレている。クラッチは思いっきり滑る。ブレーキは微調整が利かず、ちょっと踏み込むとガツン!と効くのである。しかも運転席側のサイドミラーは折れてしまったらしく、折れ残ったステー(ミラーを固定する金具)に“あればいいんだろう”とばかりに、原チャリのサイドミラーがガムテープで貼り付けられている。これは運転席から覗き込まないとミラーを見られない。
宿舎が海岸べりにある関係上、毎朝フロントガラスに真水を掛けて、フロントガラスについた波しぶきによって付着した塩を落としてから出発なのだが、肝心のワイパーがイカレているので拭き取ることもできないのだ。さらに我々は4人で入島したのである。つまり移動するにあたって使える車は乗車定員3人のこの4トンダンプ、1台なのである。幸いなことに4トンダンプの座席の後ろはベットスペースになっているので、乗れることは乗れる。しかし明らかに定員外乗車。道路交通法違反である。
これで内地の道路、横浜や東京都内を走ったら、整備不良で間違いなくお巡りさんの餌食である。ではここ、現在の三宅島ではどうなのか?
アリなのである。厳密に言えば、とんでもない話なのであるが、さすがに杓子定規に法律を振りかざしてはいられないのである。ナゼか?それは復旧工事や物品輸送、帰島事業に従事する輸送力の絶対量が不足しているからである。
非常に乱暴且つ大雑把な計算であるが、島を一周している道路が概ね30キロである。これもまた乱暴な話で実際とは違うのだろうが、三宅島はほぼ円形なので円の面積、円柱の体積の計算ができる。それによれば仮に島内平均で火山灰が2センチ積もっていたとして、間違っていなければ1,433,079立方メートルである。
俗に言われる大型ダンプが積み込む量は、モノによるが8〜9立方メートル。無理やり10立方メートルを積んだとしても143,000台の計算である。
島内全域の火山灰を取り除くわけではないし、台風や強い季節風、通常の雨で流されるものやそのまま捨て置かれるものも相当数あるので、そこまでの輸送力は必要ない(島内の45%は立入禁止区域だし。)が、たとえ無法地帯と言われても、車検だの整備だのと言っていては復旧できるものも出来ないのである。ここで必要なのはまず、復旧・復興なのである。
事実、三宅島では3月まで島内に登録されている車両に関しては、車検がいらない。これは当然の措置であろう。何しろ4年半の間、防災関係者しか渡島できなかったのである。復興事業に伴って、先行帰島した島民であっても、公共的な事業を営んでいる人しか認められなかったのである。これらの方々が日常の足として使用するのが、当時として4年前に、島に置いていった車である。誰もいなかったのだから車検なぞ受けているはずが無い。島にある車は、全島避難が始まった日に新車で送り込まれてきても車検切れである。車検切れの車だから運転したら検挙するでは、苦情どころではない。
それに見ている限りシートベルトをしているドライバーは皆無である。住民や工事関係者はもとより、村役場の職員、派遣されてきた東京都職員、さらにはお巡りさんまでシートベルトをしていない。
あとから聞いた話では、今年の三月までの時限特別措置として車検が無くても運行を認めるということになっていたらしい。そして防災関係者がほとんどだし、最低限のルール(飲酒運転不可・信号・左右確認など。)を守れば道路交通法に違反しても黙認されていたようである。杓子定規のお役人ばかりかと思っていたら、案外と物分りの良い措置である。やはり石原都知事、蛮勇とはこのことだろう。
しかし避難解除から日が経ち、帰島住民が増えてくるにつれ、そんな事も出来なくなってきたので、警察と村役場から「これからはキチンと法律を守ること」という通達が出されたのである。
この他に、いつまでも定員外乗車するわけにも行かないし、イカレたダンプでは危ないということで、乗用車のレンタカーを借りることになったのだが、この時点で営業しているレンタカー屋は”七島商事”という会社が経営するコスモレンタカーという店しかなく、この店がどちらかというと今回の元請会社のライバル会社を贔屓しているらしく、なかなか車を貸してくれない。更にちょうど報道機関の人間が内地に帰っていったために、この連中用に内地から運んできたレンタカーを内地に戻してしまった後なので貸せる車がない、とのこと。
店頭の駐車場の車を指差し、あるじゃないかと詰め寄っても予約で一杯だとうそぶく。施工管理の松本さんは仕方なしに待つ、と告げて毎日毎日朝と夕方の2回、レンタカー屋に通った。一週間ほど続けると、相手もさすがに根負けしたのか、軽4輪なら用意できるという。そして頻りに汚さないでくれ、キレイに乗ってくれというのだ。ようやっと借りた軽4輪はまだ新しい車だった。ツヤもある。が、何かおかしい・・・?私はナンバーを見て驚いた。
プレートの色が白く『横浜55あ12-34』等と書かれた車のナンバープレートには輸送営業運行許可の有無(白)、車両の登録された陸運支局(横浜)・車両の種類(先の5)・登録時期区分(あとの5)・車両の使用区分(あ)・車両の登録番号(12-34)が表示されているのである。つまり定められた区分に照らし合わせていくと、その車がどこで、どんな車種の、どの時期に、どんな使用目的で、何番目に登録されたのかが判る仕組みになっている。つまり例で話せば『横浜陸運支局に登録された、非営業用の、登録年次が古い、普通乗用車で、公の機関が業務・自家使用する、1234番目の車両』ということになる。
問題になるのは借りてきた軽4輪のプレートに書かれたひらがな文字、車両の使用区分である“て”である。レンタカーの使用区分文字は“わ”である(北海道のレンタカーだけは違う)。これは明らかに一般自家用車登録された車であり、レンタカーなどの不特定多数の人物に賃貸営業することは法律に違反する。どうやらこのレンタカー屋のオヤジ、誰か知り合いの車を借りてきて我々に又貸ししているようだ。あとでユスッてやろうかな?とか考えたが、今後のことも考えて、有難く借りておくことにしたのだった。
もっとも島民の帰島前、防災関係者しかいなかったときなど島内はもう、無法地帯と言っても過言ではなかったらしい。聞いた話だから真偽は定かでないが、内地から作業のために運んできた車ならともかくして、もともと島内にあってムリヤリ修理して走行可能になったような傷みの激しい車なぞ、事故を起こしても相手が怪我をしていない限り、互いに罵り合うか、殴り合って終わりだったらしい。
それを考えれば、自家用車のレンタルなどたいしたことではないんだろうなぁ・・・。ここだって東京都だってぇのに・・・。