都立三宅高校
 さて、私が入った現場は”東京都都立三宅高校”である。この高校の校庭と、併設されたテニスコートを復旧・整備するのが仕事である。
 元請会社の担当者との打ち合わせのため、事前に一時入島したN橋さんから、現場の様子を聞いていた。それによると「生い茂ってジャングルみたいだ。」という。 4年半の間、人間の手が入ることなく自然が支配してきた場所である。雑草が生えているくらいは想像に難くない。むしろ何も生えてないほうが脅威を感じてしまう。飯場で一休み(2時間くらい寝ていた。)したあと、我々4人は現場を見てみるためには定員3人の4トンダンプに乗り込んで、走り出した。
 飯場は阿古という地域にあり、現場は立根地区を経て坪田という地域にあたる。坪田を越えると我々が到着した港、三池港となる。そして現場にたどり着くまでには『阿古高濃度地区』という地域を通過しなくてはならない。
 来る時には気づかなかったが、高濃度地区を示す“立入禁止”の看板を通過してホンの数10秒で卵が腐ったような独特の匂い、硫黄の匂いが漂い始めた。もっとも、我々は海上にいる段階から硫黄の匂いを感じているのである。脱硫装置が設置されたクリーンルームで2時間くらい寝ていたとは言え、感覚的には温泉地の源泉地域に来た程度で済んでいた。
 語弊はあるが島内は基本的に一本の道路しかない。その名もそのまま『一周道路』という。現場となる三宅高校もこの道路に面した場所に併設されている。後日解ったが、三宅島島内を周回している道路は、かなりアップダウンが激しく、島の西部から東北側9時から2時の伊ヶ谷(いがや)〜伊豆・神着(いず・かみつき)〜美茂井・島下(みもい・しました)の各地域など、これに比較にならないほどの高低差・曲線率である。
 そんな道路を走りながら進行方向右側の車窓には、東京湾相模湾駿河湾などとは比較にならないくらいにコバルトブルー・・・表現が合わない、群青色かネービーブルーと表現したらよいのだろうか。岩や磯に打ち付けられる波が砕ける様は、そのまま東映のクレジットタイトルが撮れるようだし、サラシ(波が砕けて海水に細かい気泡を多く含んだ状態。)は空よりも澄んだスカイブルーである。
 釣り場がオレを呼んでいる・・・釣ってくれよと誘ってる・・・おまえに釣れるかと叫んでいる・・・。上等だ、日曜日には絶対に釣りに出てやると思いながら、現場に向かう。
 中橋さんが言うには「こういう造りは伊豆の島特有なんだ。」という、道路に面した石垣と防風林の壁を通り抜けると左側(内陸側)にパッと開けて、緑色の防球ネットが見えたら、現場である三宅高校である。外から見ると校庭のきわに沿って植林されているらしく、田舎(失礼。)の学校にしてはなかなかセンスの良い造りである。
 白い校舎は、ガスの影響を受けてボロボロになったアルミサッシを、耐久性と気密性の高いものに替える作業が行われているため、周囲に足場が組まれているのが見える。
 校舎の裏には柔道場と剣道場が併設された、なかなか立派な体育館がある。このような地域での場合、学校としての他に、地域住民の為のスポーツ施設、または有事の際の避難場所などに使用できるようにして公共性を高めている。どこぞのオンブズマン団体が見たら”税金の無駄遣いだ、と言い出しそうだが、こういう理由がある限り生徒数が少ないから過剰設備だ、とは言えないのである。その体育館と校舎の間には運動部の部室棟、校舎西側に機材庫を兼ねた農業実習棟があり、ウチの会社で使っているトラクターその他の機械よりもはるかに立派な機械がキレイに整備された状態で並べられている。これらは屋内に保管されていたために潮風やガスの影響を受け難かった、また日常から手入れが行き届いていたのだろう、大したダメージを受けていなかった。
この体育館と農業実習棟の裏手には、いくつかの温室やビニールハウス、畜産・養鶏小屋を擁した、やたら広い実習農場がある。多分、グランドよりも広い。
 しかし全島避難したのが2000年の9月、噴火はその前であるから4年半以上の間、手入れをされていなかったので荒れ放題。畑であった痕跡があるものの雑草や木が生い茂り、畑に戻すとなれば復旧と言うよりも開墾にといったほうが良い。残された作業小屋を覗いてみると、鍬やスコップなどの農機具がガスの影響でボロボロである。
 ここから先は、三宅高校前バス停の前に住むお婆さんに聞いた話であるから、どこまで正確かは不明である。間違っていたとしてもツッコミを入れてはいけない。
 昭和23年(西暦1948年)、三宅高校が開校。当時の全校生徒数約230人。各学年で2クラスずつあったそうである。しかし、年々生徒数が減少して、火山被害避難による離島時には生徒数が100名を切ったという。そして今年の4月には40名の生徒が戻ってくると言う。今ここに書いているが、正確なことは改めて書きたいと思う。
 現場に到着し、ダンプから降りて足元を見た。新品の安全靴で踏みしめた場所はアスファルト舗装されているにも関わらずジャリっとした感触。火山灰が溜まっている所だった。砂や砕石の上を歩いているガリゴリというのとも違った感触。
 火山性ガスに晒され、台風や強い季節風を受け続けたグランドを囲む防球ネットが風に引きちぎられてボロボロである。それを潜って校庭に入って絶句した。
「なっ・・・・・」
 校庭は、テレビ番組で放映されるアフリカのサバンナやモンゴルの草原を撮影した映像のような状態で、一面に芝や雑草が生えている。ススキに似た草なぞ大人が一抱えもするくらいの株で人の背丈よりも高い。それくらいならまだしも、野球グランドの内野部分には高さ3〜5m、太さ2cmから10cm超の木がビッシリと生え、向こうが見えないのである。校庭のきわに植林されているのではなく、勝手に生えていたのである。更にその根の間には火山灰がギッチリと堆積しているのである。そしてそんなアフリカのサバンナのようなグランドを、茶色いネコのような動物が、目にも止まらぬ速さで駆け抜けて道路向こうの森に消えていった。ここは日本なのか・・・?
 その茂みを掻き分けて、私はホームベースとピッチャーマウンドがあると思しきところに行ってみた。するとフシギなことに他の場所はみんな3cm程度の厚さで火山灰を被っているのに、地面と同じ高さに設置されている関係上、火山灰に埋もれてしまうはずのホームベースはガスと雨の影響でベースの表面が傷んでいるものの、そこだけ火山灰を被っておらず、キチンとあるべきところに存在していた。ピッチャーマウンドも盛り上がっているのですぐに判明。ホームベース同様、ピッチャープレートも火山灰を被ることなく、ちゃんとその存在を露にしていた。まだ使えそうだが、今回学校と東京都教育委員会からの指示は、全てのベースの撤去・廃棄処分・新設である。
 火山灰の取り除きや除草作業は大した問題ではない。ブルドーザーで押していけば、草の根が絡み合っているので、カーペットを剥がすように除去できるし、火山灰も一緒に押しどけていかれる。問題は木である。後で聞いたのだが、問題の木は”ヤシャの木”というものらしく、成長が早い。2年前に都の職員が調査のために訪れた際には生えていなかったらしい。
 これをブルドーザーで土ごと押していくと、木は倒れるのだが根っこが残るのである。そうなると根っこを別に取って回らなければならず、これは全部手作業になるし、手間である。できれば丸ごと取りたいので、これも手間だが1本1本抜いていくしかないのである。やり方は、1本の木にワイヤーを掛けてユンボ(パワーシャベル)で引き抜くのだ。ちなみに木と言うのは、枝葉が生い茂っている範囲と木の高さと同じ深さまで根が張っているのである。
 しかしそこまでの抜根(ばっこん。字のとおり。)をする必要は無いので、抜きあがった分だけでよいのは助かる。試しに抜いてみると、どうやらこの“やしゃの木”、草に近いものらしく根が横に広がる性質があるようで、毛根は不明だが太い根は簡単に千切れてくれた。
 それでも1本1本にワイヤーを絡め、ユンボのアームに取り付け、抜けたらワイヤーを外し再びセットしなくてはならない。1本の木を抜くのに、最初からだと2分はかかるのである。この作業を行っている間、私は木が何本あるのかを数えていた。私が携わったものだけで実に337本あった。
 それでもすんなりと抜けてくれれば良い。細くて抜けないものもある。これはワイヤーがそこまで細くは絞られず、また真上に引くと力が掛からずにワイヤーが外れてしまう。ワイヤーが使えないならばロープで、と思い試してみたが、ロープの引っ張り過重強度を越えてしまい、ロープが切れてしまうが木はびくともしない。
 後日、地盤を傷めるので躊躇していたのだが、根が浅くて細いので、ユンボバケット(地面を掘る部分。人間の掌に相当する。コンクリートを掬ったり、人を乗せて持ち上げたりするのにも使う。)で掘り起こすことにした。
 この時のユンボの操縦を私が行ったのだが、機体重量が10トンを越える、大型に属するユンボである。バケットを地面に刺して、バケットを30cmほど煽るだけで簡単に根っこが抜けてくる。しかも防球ネット傍(同時にグランドのきわでもある。)に寄らなければ、集水桝やマンホール、スプリンクラーなどの付帯設備を踏みつけて破損する心配もない。まんま、戦争映画などで戦車が木を薙ぎ倒して進んでいく様、そのものである。そして木を引き抜いて倒していく気分としては、インドなどでゾウが長い鼻を撒きつけて木を運んでいる、まさにアレである。あのゾウの気分である。しかしユンボのアームはゾウの鼻と違い、神経が通っていない。
 圧倒的なパワーと、その暴力的な作業にいい気になってユンボを操縦していると、ゴリッっという音とともに今までとは明らかに違う感触を操作レバーに感じた。バケットの先を見ると内地で見慣れたコンクリートガラ(コンクリート製品の破片)が出てきた。やっちまった・・・。
 事前調査で発見されていたスプリンクラーを示す赤杭があるのは解っていた。横浜、いや神奈川県内の小中学校、神奈川県立の高校ならば有り得ない構造である。スプリンクラーの射出部分ごとに、電気配線と給水バルブが設置されていたのである。その2つをフッ飛ばしたのである。・・・あ〜あ・・・。
 もっともベテラン・ブルオペ(ブルドーザー・オペレーターの略。ブルドーザーの操縦者のこと。)のN橋さんもマンホール2ヶ所、スプリンクラー2基を破壊している。普段はこんなことは起きない。これには単純なワケがある。
 誰もいない土地では台風や季節風により土埃や火山灰が堆積してしまい、普段なら地表に出ている付帯構造物が埋もれてしまうのである。それなら機械を使わずに人力で探せばいいじゃないか、という人は土を弄ったことのない人である。
 仮に『1m四方の芝を剥がせ。』と言われたとしよう。この面積の芝を剥がせば終わりである。せいぜい2時間もあれば剥がし終わるであろう。しかし我々の場合はどこにあるとも知れないモノを、芝なんぞよりもはるかに強靭な根を持つ雑草の根を刈っていくのである。それを考えたら、多少構造物を壊しても(もちろん、壊さないようにするのだが。)機械で掘り出してしまったほうが早いのである。
 雑草木の伐採除去、火山灰の取り除き作業、グランド周囲の排水路発掘など重機・人力での作業は一週間を経て終了し、ようやくグランド整備屋本来の仕事に取り掛かることができるようになったのである。