三宅島サバイバー
 島に降り立つと被害状況ばかり目に付くが、もうひとつやたらと見かけるものがある。ネコである。島内をウロチョロすると、人が集まっているところには必ずと言ってよいほどネコがいるのである。それも5匹とか10匹とかの数で。
 毛並みの良いヤツもいるので元は飼いネコであるらしい。どうやら島民が島を離れる際に置いて行った、というよりも、泣く泣く置いて行かざるを得なかった、というのが実情だろう。何せ相手はネコである。気まぐれの代表みたいなケダモノである。人間の都合に合わせて行動はしないのだから、飼い主としてはきっと、自宅でタマだかミケだかが戻るのを、避難の船に乗るために港へ向かわなければならない時間ギリギリまで血眼になって探し、いよいよ家を出なければならない時間まで待ち、時間寸前にはありったけのエサを開封して家を出たのだろう。そして、それを知らないネコは誰もいない自分の住処に戻るが可愛がってくれて餌をくれていた人間が見当たらず、数日間は餌があるものの、それからは必死になってガスや寒さに耐えて、生き抜いてきたものと考えられる。こうなると室内か繋がれて飼われている犬は幸せである。少なくとも飼い主と共に避難船で島を脱出できて、その後の餌を心配することなく、内地で過ごすことができるのである。もっとも、島民の避難先は都営住宅が主であったから、どの程度の数の犬が飼い主と共に避難生活をおくる事ができたのかわからないが。
 実は島内にはかなりの数の小鳥や野ネズミがいる。それに海岸には死んで打ち上げられた魚、ガスにやられて落ちた鳥などの屍骸もあるからネコとしては、何とか生きていかれたのだろう。さらには今回、私が派遣されているような復興事業ではなく、災害対策事業で避難直後から三宅島に派遣されている防災関係者が、現在の数分の一ではあるが島にいたのである。
 これらの作業員、当初は弁当片手に漁船で御蔵島や新島、神津島から通っていたらしい。その後、小型の客船を宿舎代わりにして砂防・架橋・治山などの工事を今よりも高濃度の二酸化硫黄が立ち込める場所においてガスマスクを頼りに文字通り、命がけで行っていたのである。これらの人たちが、エサ欲しさに寄ってくるネコに無聊されたのだろう、多いとは言えない弁当のおかずから、魚の骨や皮、人によっては魚の身そのものを与える人もあっただろう。気が荒くてガラの悪いのが多い土方連中であっても、ネコが遭遇している不憫な境遇には手を差し伸べざるを得ないのである。そして自分もハラが減っているのに恵んでやった魚の骨などを美味しそうに食べて喜んでいるネコを見て微笑み、作業の息抜きにしていたのだろう。ネコもそれを覚えているのである。
 私のいる宿舎の周りにも数匹のネコがいるが、手を差し出して逃げるネコは稀である。こちらがニャアと声をかけると返事をする。それどころか人の姿を見掛けると“何かくれ”とばかりにニャアニャアと鳴いて寄ってくるのである。それに対して島内にいる限り犬を見ることは一度だけ(役人のイヌ、は何人かいたけどね。)であった。しかし、何とか生き延びていたネコも、やはりガスの影響からは免れられなかったようだ。
 全部が全部ではないが、見かけるネコのうち何匹かに一匹は、今まで寝ていたと思ったら突然暴れ出したり、弁当の残りなどをやっても食べようとしないで、その場から離れていってしまう。残されたエサを他のネコが食べている姿を見て、食べているエサを分けてもらおうとするのである。どうやら嗅覚を始めとする神経がやられてしまっているらしい。まるで、太平洋戦争・東京大空襲を舞台にした童話『猫は生きている』そのままだ。火山ガスが漂っていても、ネコは生き抜いてきたのである。
 
 これは予想だが、野ネズミや小鳥などと並んでネコのエサとなっていたと思われるのが『ヒキガエル』、我々の通称“ガマ”である。これがまた、やたらといるのである。
三宅島に常時流れている川はない。湧き水がチョロチョロと流れる沢はあるが、それとて降雨がないとすぐに枯れてしまうようなシロモノである。島の水源は坪田地区に入るのだろうか、『長太郎池』という池があり、これを浄水して各家庭や施設に配水している。沢の水であるし、ましてや火山灰や火山性の岩石地層を通ってくる水である。その影響で水の硬度が高いような感じである。
 理解しにくいならば内地の水道水か『南アルプスの天然水』『クリスタルガイザー』などと『エビアン』『ヴィッテル』を飲み比べてみれば解る。後者のほうが飲みにくく、また何となく塩辛いような後味が残るはずである。三宅島ではこれが水道水として供給されている。
 これは、水が雨として地上や地下を経た場合に起こるもので、雨の酸性度が高くなればなるほど鉱物質が溶け出しやすくなるために水の硬度が高まる(聞きかじった話なので真偽不明。まあ、道理ではある。)傾向にあるらしい。長太郎池が正にその状態なのだろう。真水が溜まっている場所と言えば長太郎池しかなく、他に水が沸いているわけでもないのに“ガマ”がやたらといるのだ。
 どういう状態でいるのか、というと、例えば現場である三宅高校のグランドにいるのである。それも私が発見・保護したものだけでも30は下らない。しかもブルドーザーで雑草木と火山灰を一緒に除去していると火山灰が降り積もった地面、わずか4〜5cmくらい下の、草の株の根元とかに埋まり、冬眠しているのである。
 そうとは知らないこちらとしては、遠慮しないでガンガンとブルドーザーで雑草木と火山灰を押していく。すると背中をブルドーザーの排土板で擦られたり、土砂ごと押し出された“ガマ”が地面から出てくることになる。そこいら中が“ガマ”だらけ。色が土と似ている上にまだ冬眠しているので動きが鈍く、というよりも動くことが出来ない様子でその場に留まっているか雑草木混じりの火山灰の山の中に押し込まれる。押し込まれているヤツはまだ良い。問題はその場に留まっているヤツである。
 これらの“ガマ”がたどる運命は、
 ①ブルドーザー・パワーシャベルに踏まれる。
 ②カラス・トンビに食われる。
 ③島内最強の肉食獣に食われる。
 と、いずれの場合も死んでしまう。私はこれらを発見した場合は、スコップで掬ってヤブの中に放り込むか、土の柔らかそうな所に置き、土が顔にかからないように埋めてやっていた。それではブルドーザーで押されてしまった”ガマ”はどうなるか。
 通常、漉き取った土砂はやはりブルドーザーによって一ヶ所か、広い場所なら数ヶ所に集められて小山となる。それを搬出するためにパワーシャベルで掬い取り、ダンプに積み込まれて指定された場所に捨てられる。現場である三宅高校では、避難前に学校の実習農場に捨てる事になっていた。そして集積された残土の山は3つ。パワーショベルのオペは私、ダンプの運転はY崎さんである。
 この日は風も穏やかで、遮蔽物のない三宅高校のグランドは春の日差しが優しく照り付け、ポカポカとした日だった。私は小山の手前3mにパワーショベルを据え、バケットに土を掬って構えた状態でダンプを誘導する。やがて好みの位置までバックしてきたので、ダンプのバックを止めさせ、積み込み開始。ダンプの荷台にバケットから土が落ちて車体が揺れる。次の残土を掬おうと、パワーショベルの機体を旋回させアームを伸ばそうとしたその時だった。目の前にある残土の小山の裾や周囲に、何やらノソノソと動くのモノが四方にいるのである。“ガマ”である。その数、十くらいいる。グランドの外に向かっているヤツはいい。確かにそのまま行けばグランドの外に向かうのだが、どちらかと言えばグランド中央を経由していく長い旅を選択してしまうと大変である。
 パワーショベルの操縦席から横目に見て、何か黒いものが落ちてきたなぁ、と思うとカラスが“ガマ”を突付いて食っている。何かが地面を飛び跳ねたなぁ、と思うとトンビが“ガマ”をさらっていくのである。
 残土置き場も同様で、土が落ちてきているのかと思えば“ガマ”である。動くものと言ったら“ガマ”なのである。それでも土と一緒にダンプに積み込まれて、ヤブの横にある残土捨て場に土砂と共に降ろされたヤツが安全か、というとそうではないのだから自然界と言うのは厳しい。後に書くがこの残土捨て場は山肌のヤブに位置しており、三宅島最強の肉食獣が潜んでいるのである。
 さて、この“ガマ”、三宅島が黒潮の影響をモロに受け、内地に比べて気温が高いせいで冬眠から覚めて動き出す時期も早いらしい。
まだ2月だというのに雨が降っている夜など、あちこちから這い出てくる。道路なんぞ、それこそ“ガマ”の社交場。しかもこっちが車で通りかかって、車のヘッドライトの光を感じると、体ごとこちらに正対して体を前足で持ち上げて威嚇するのである。こちらも避けられるヤツは避けるのだが、そうそう避けてばかりはいられないし、避けた走行ライン上に別の“ガマ”がいるので、それらを車で踏んでしまうことになる。これはあんまり気持ちの良いものではない。それくらいの数の“ガマ”がいるのだ。そしてこれら大量の“ガマ”は水の溜まっている場所を探すのだ。
 校舎裏手の実習農場に設置された貯水タンクの回りをブロックで囲み、タンクの中身があふれ出ないように仕切りが作られているのだが、そこに雨水が溜まって深さ20cmほどの池状態になっている。この時期はカエルにとって発情期。交尾である。ここには概ね50匹の“ガマ”が繋がった状態にあり、もう乱交状態である。あぶれたオス(オスは体が小さく緑褐色で、メスは大きくて茶褐色なので、すぐわかる。)もいるようだが、大きな顔の後ろには小さくて緑色かかった、幾分小さな顔があり、オスが「クォー、クォー」とまるでタンチョウヅルのような鳴き声を出し、中には目を細めているヤツまでいる。そしてナゼかみんな、雄山の方を向いてハメているのである。その姿・光景を見た私は、I君とY嬢が30人くらいずついると、こんな状態になるのだろうか?とか考えながらその場を去ったのだった。
 このガマ達は2000年の噴火の数日前、雨でもないのにゾロゾロ、ゴソゴソと這い出てきて雄山から離れようとしたらしい。これを見た住人は“変だねぇ。やたらとカエルが出てきているねぇ。”と話していたそうである。
 これを覚えている住人が次回の噴火のときまでに覚えていれば、噴火の前兆として役立つのではないか、と思うのである。
 
 そんなガマ天国のようなここ三宅島には、人間によって連れて来られたらしいが、その後は一切人間の助けを借りず、野生の力でその勢力を拡大し地位を確立した獰猛かつ最強のケダモノが存在する。それはイタチである。
 三宅島は案外と野ネズミが多く、野ネズミによる農作物などの被害が多かったらしい。そこで野ネズミの駆除にと、イタチを放したらしい。目論見は見事にあたり、野ネズミの被害は減ったが島内にはイタチの天敵となる動物がいないため、今度はイタチが増えてニワトリやウサギなどの家禽を襲うようになり、問題となっている。
 このイタチ、500ml入りペットボトルくらいの大きさの胴体に、耳の小さなネズミのような顔つきで、ちょっと大き目のシュウマイくらいの頭。後ろ足は強いものの前足は3〜4cmくらいしかないのだが、こいつにはネコも敵わない。その愛くるしい姿からは想像も出来ないくらいに、やたらと獰猛なのである。
 “ガマ”を咥えて茂みに消えたと思えば、茂みの中で“ガマ”の頭を生きたまま状態でガリガリと食べ始める。近くにいるとホントに骨の砕ける音が聞こえるのである。そして、こちらの姿を見止めると、口の周りを鮮血で真っ赤に染め、それでも両手で抱えた断末魔に痙攣する“ガマ”を離さず、大口を開けて牙を向け、こちらを威嚇するのである。そしてこっちが怯むと、一瞬の隙をついて茂みに消えるのである。さすがである。  
 今回の噴火でエサとなる家禽や野ネズミなどの小動物が激減、イタチの個体数もずいぶんと減ったらしいが、それでも生き残っていたヤツがいたらしい。夜間、一周道路を走行していて目の前を横切るのはイタチである。ジャングルに戻ってしまった三宅高校の実習農場の中でガサガサと音を立てているのもイタチ。草むらから顔を出しているのもイタチ。残土の山から逃げ出した“ガマ”を電光石火の如く捕らえ、咥えて走り去るのもイタチである。
 火山活動も自然なら、動物達が野生で生きて残ってきたのもまた自然なのである。しかも逃げ出しもせず、ましてやガスマスクなんぞ着けずに。こうして考えると、復旧工事というのは人間の勝手な都合なんだなぁと改めて思うのであった。そして、この三宅島の自然と三宅島の野生動物というのはすごいなぁと感心させられたのである。